多摩川堤の桜が散り始めたその日、薄暗い病院の一室で、最愛の妻が逝った。
脳出血の再発から植物状態になっても、無意識の裡に5年間闘い続けた妻が、力尽きる瞬間の壮絶なドラマを見守った。
大きく見開いた眼に薄っすらと涙を浮べ、白い天井を睨みつける妻の顔に宇宙の風が吹きつける。痩せ細った肉体と不屈の魂が一つになった小さな生命を天に返し、宇宙のスピリットと融合する瞬間であった。
あの笑顔は、遂に、なかった。5年間、私は妻の笑顔を期待して病院に通い続けた。が、空しかった。
15年前、最初の脳出血で倒れた直後から妻は懸命のリハビリを続けた。お陰で、車椅子と杖の助けを借りて、普通の生活が出来るまでに回復した。言語障害もあったが、簡単な言葉だけは言えるようになった。最初に覚えたのが、「すみませんね」と「ありがとう」の二つだった。妻は、あらゆる機会にこれを連発した。そのとき、ニッコリと微笑むことも忘れなかった。
何の邪気もない子供のような笑顔は、私のすさみかけた心を何度も癒してくれた。妻の嬉しそうな微笑をみると私も嬉しくなった。
「この人を仕合せにしてやりたい」と、私が思うようになったのも、単純にこの笑顔のなせる業だった。
生来、外出好きの妻を、私は、旅行に、買物に、友人宅訪問にと、車椅子を押して連れて行った。妻がそれを喜ぶからであった。 今、思えば、妻にも私にも最も仕合せな期間だったかもしれない。
だが、好事魔多し。仕合せは長くは続かなかった。
5年前、再び脳出血が彼女を襲った。前回は左脳、今度は右脳。
全身麻痺で意識も失った妻に、医者はサジを投げた。が、妻は健気にも無意識のファイトを続けた。
植物人間。私には、テレビドラマの中の出来事でしかなかった。現実に、病院のベッドに眠り続ける妻を見つめながら、私は途方に暮れた。もちろん、あの笑顔も失われてしまった。
数日後、妻は私の呼びかけに目を開くようになった。話しかけると、うつろな眼差しをこちらに向ける。私の話を聴いているようにも見える。だが、直ぐに目を閉じてしまう。反応というにはあまりにもはかない。
それでも、私は期待をかけた。あの笑顔にもう一度出会えるかもしれない。
私はせっせと病院通いを続けた。花束を持参したり、妻の好きだった琴のCDを聞かせたりした。私の期待は信念に替わっていった。
旅立つ前に、必ず、もう一度、私に微笑みかけてくれるはずだ。声は聞けなくても、「ありがとう」の笑顔を私に向けてくれるに違いない。
しかし、多摩川の桜とともに妻は逝ってしまった。一度も、あの笑顔を見せることもなく・・・