介護日記−その後   2013年8月



8月1日(木)

 また新しい月がやってきた。このようにして、どんどん過ぎていくのだろう。なにしろ、今年も後5ヵ月だ。

 宇部の末永先輩のお骨折りで、エッセイ集「ひこばえA」がローカル紙「宇部日報」に掲載された。大野光生さんという地方では名の通った随筆家に寄稿して頂いたもの。何となく、「末永君との縁」という題のエッセイに添付して紹介されたような書きぶりだが、随所にお褒めの言葉を頂戴したことには素直に喜びたい。ただ、司馬遼太郎氏の出身は大阪外大のモンゴル科なので、その部分は大野氏の勘違いだろう。
掲載記事は→こちら

 ところで、プロ野球だが、全然面白くない方向に進んでいる。巨人ファンの愛読者を徒に喜ばすのも不本意なので、当分の間、プロ野球ネタは中止することとしたい。


8月3日(土)

 高校時代の友人、柴田クンがやってきた。何時もは昼に来て、ランチに「日本海」で寿司を摘んで夕方には帰るのだが、今日はどうしても一緒にナイターを観たいという。「ワシと一緒に観戦したら絶対勝つ」とも。事実、デーゲームの観戦ではこれまでタイガースが勝利してきた。仕方なく、夕方の来訪をOKした。

 実は、夕食時に来られるのはあまり都合が良くない。淳子の帰りが7時過ぎとなるので、3人で外食するとナイターは観られない。どうしてもウチで食べるしかない。となると夕食の準備が面倒だ。寿司でもとればいいのだが、それではホスト役としての面目が立たない。久し振りに十八番の特製カレーを作ることにした。土用の丑の日にカレーも一興だ。

 昨夜買っておいた牛肉を朝から煮込んだ。昼過ぎに買物に出かけようとすると、マンションの庭ではテントの設営が行われていた。何事かと訊いてみると、今日は自治会主催の納涼大会だという。ゲッ、全然知らなかった。私は自治会の役員なのに…。
「6時半からなので是非来てください」と言われて、「顔は出します」、とその場は逃れた。

 5時過ぎに柴田クンがやってきた。冷やしておいたビールと用意したおつまみを出す(酒呑みはこういうのが面倒だ)。カレーは、美味しい、美味しいと食べた。そりゃそうだろう、7時間もかけて作ったのだ。その内に淳子も帰り、食事が終わった。ゲームは伯仲で盛り上がっているが、納涼大会に顔を出さないとまずい。柴田クンと淳子も一緒に下に降りた。

 たくさん集っていた。子供連れも多く、金魚すくいや花火をやっている。食べ物はあらかたなくなっていた。残り物のお寿司を義理で頂いた。柴田クンは缶ビール。会長、副会長、他の役員たちに一応挨拶したところで、407号のマリオ氏に出逢った。英語を喋る相手を探していたとみえて、嬉しそうに話しかけてきた。「フレンドが来ているので」と、柴田クンを紹介して引き揚げた。文字通り顔を出しただけだったが、マリオ氏の残念そうな表情が心に残った。

 部屋に帰って、再び野球観戦。だが、柴田クンの神通力は残念ながら効果がなかった。


8月4日(日)

 神奈川県民会館にキエフ・バレーの公演を観にいった。今日の出し物は「バレー・ハイライト」。バレー曲の名場面をピックアップしてハイライトで見せる。昨年の正月にレニングラード・バレーによる「白鳥の湖」の4幕ものをじっくり拝見したので、ハイライトで良いとこどりを観るのも楽しい。「眠りの森の美女」、「白鳥の湖」、「人形の箱」、「胡桃割り人形」などの名場面をつまみ食いする。「カルメン」の闘牛場の場面もあった。原曲はオペラ用なので、これはキエフ・バレー団で振り付けを考えた、一種の創作バレーでもある。

 そのカルメンを踊るのはエレーナ・フィリピエワ、ロシアバレーを代表するプリマ・バレリーナだ。彼女は他にも「瀕死の白鳥」を踊ったが、どちらも円熟味を感じさせる素晴らしいダンスであった。特に、瀕死の白鳥が羽ばたく場面ではまるで両手の間接が外れたのではないかと思わせるような、しなやかな手の動きで満員の観客から鳴り止まぬ拍手をあびた。

 今日の席も7列目の中央。矢張り、バレーは近くで観るに限る。同行のY女も堪能した様子だったが、本日のコンサートは耳の保養ではなく、素晴らしい眼の保養になった。ホンモノを観ることができて大いに満足であった。


8月6日(火)

 些か硬い話で恐縮だが、「事大主義」という言葉がある。元々の語源は孟子の「以小事大」即ち「小を以って大に事(つか)える」だ。孟子は、春秋時代の「越」が宿敵「呉」に破れ、国が滅びそうになったとき、越が詫びを入れて呉に仕えることで国の滅亡を救った智恵、つまり「小国のしたたかな外交政策(智恵)」を指してこの言葉を用いた。しかし、その後意味が転じて「大国に媚びへつらう卑屈な外交政策」というニュアンスで用いられるようになった。

 最近の韓国の外交政策をみていると、事大主義の復活が著しい。今日の産経新聞「正論」で、拓殖大学総長の渡辺利夫氏が指摘しているように、李氏朝鮮の開祖、李成桂は「小を以って大に事(つか)ふるは保国の道也」と述べ、明国と君臣の関係を結ぶことで明国からの独立を確保した。現在の韓国は、中国という大国に仕えることで自国の存在を護ろうとしている。韓国はまさに中国の第一の子分(小中華主義)として自国のアイデンティティーを世界に誇示している。

 サッカーの試合中に掲げた横断幕事件や自国のみならずアメリカにまで建造を始めた慰安婦の像。これらをみても明らかなように、韓国は日本を敵対国とみなすことで大国・中国に媚を売っているかのように思える。6月末、韓国の朴大統領が北京で中韓首脳会談に臨み、「中韓未来ビジョン」と称する共同声明を発表した。その中で、両国の連携強化をうたいあげるとともに、「歴史認識問題はこの地域国家間の対立と不信を深刻化させており、中韓両国は共通の目標達成に努める」と記載された。

 3年前、政権交代を旗印に自民党を破って政権の座に着いた民主党が最初に行った外交は、小沢幹事長率いる600人もの使節団が中国を訪問、当時の胡錦濤国家主席に面談したことだ。中国側からみると、まさに朝貢外交だと映ったはずだ。その後、次期指導者の習近平氏が来日した際、小沢氏は強引に天皇陛下との面談をアレンジした。日本が事大主義と小中華主義に変身したと受け止められても仕方のない軽挙であった。

 ところが、野田政権になって態度は一変する。尖閣の国有化である。中国側からすれば、事大主義と小中華主義から日本が決別すると宣告したようなものだ。これを契機に日中関係が一気に悪化する。中国は日本バッシングに精を出すようになる。その口実は歴史認識だ。韓国の新大統領となった朴槿惠は中国と歩調を合わせ、歴史認識を前面に出して日本との対決姿勢を演出する。

 中国と違って、自由主義の韓国は日本と価値観を共有できる隣国だと期待していたが、見事に裏切られた。要は中国と韓国は一蓮托生なのだ。参議院選挙で自民党が圧勝したことにより国会のネジレは解消した。この先3年間の安定政権の間に、日本が極東での存在感をどのような形で世界に示すのか、安倍総理の舵取りが注目される。


8月9日(金)

 先日、塾から「高3の作文の添削ですが、指導できますか?」と問い合わせがあり、「それは得意分野ですから」と二つ返事でOKを出した。とは言うものの若干心配になり、昨日、蒲田に出たついでに熊沢書店に寄って受験参考書のコーナーで少し立ち読みしてみた。

「小論文」というコーナーがあり、参考書がずらりと並んでいる。志望学科により出される課題も様々。理数系の小論文では課題だけ読んでも意味の分からないものもある。一体、その学生が何処の大学の何学科を志望するのか全く予備知識がないことに気付いた。安請け合いしてしまったかと後悔したが今更断るわけにはいかない。出たとこ勝負でやるしかない。

 今日がその1回目の指導日。某私大の法科を推薦で受験するという。昨年の問題を持ってきたというので見せてもらった。その問題というのが予想以上に面倒だ。入院中の眼腫瘍患者(12歳の少年)へのインフォームド・コンセントに関する設問だが、簡単にいえば、手術をしなければ確実に死ぬ。手術が成功しても失明は覚悟しなければならない。親権者は手術に反対する。設問1では、病院としてどのような対応を取るべきか、を問うている。設問2としては、こうした状況で医師が手術を行う場合、具体的にどのような問題が生じるかを「医師」と「同意を求められるもの」それぞれの立場から書きなさい、とある。

 説明文には患者の症状についての記述、更には、患者が未成年の場合手術をするには親権者の同意があればよいとするのは法的に根拠がない等々の説明がある。回答の字数制限はないが、解答用紙のスペースからすれば、各設問につき、1,000〜1,200字になる。これを2問併せて1時間で書けとある。相当タフな課題ではある。さすがに、1コマ(60分)の指導では模範解答を作成するのは無理だった。容易ならざるものを引き受けてしまった感がある。

写真は今日の夕焼け。何時もとは違う淡いピンクの空が現われた(猛暑に空全体が燃えているような…)。



nifty のホームページを御覧の愛読者の方へ:

nifty との契約容量(100MB)に達したためか、写真画像を受け付けなくなりました。
お手数ですが、下記にアクセスしていただくと写真が表示されます。
こちら




8月11日(日)

 このところ猛暑の毎日で、今日は東京でも38℃まで上がった。気温の上昇とセミの飛ぶ高さが関係あるわけではないだろうが、昨日、今日と何匹ものセミが7階のベランダまで飛んできて、2匹がラーの餌食になった。餌食といっても食べるわけではない。弄んで殺すだけの余興の犠牲になるのだ。何年もの間土中に眠っていたセミが地上に出たとたん、残虐猫に捕らえられるのは誠に気の毒だとは思う。が、セミ・ハンティングはラーにとって最高の生甲斐でもある。不運と思って諦めていただくしかない。

 今夜の夕食は「築地・日本海」の鮨。これには経緯がある。野球ネタで申し訳ないが、オールスター明けのヤクルト戦でタイガースは12-0と大勝。が、その後は1試合1点ずつしか取れずに3連敗。翌7月28日は甲子園でのベイ・スターズ最終戦、まさか4連敗はないだろうとタイガースの勝利を確信していた。ところが、淳子が「どうせ、今日もダメだ」という。トラ・ファンにあるまじき発言に、「それじゃ賭けよう」と、私はタイガースの勝ちに賭けた。結果は 0-10の惨敗。その結果が、今夜の夕食の御馳走になった。

 6時過ぎに店に入ったが、日曜だけにほぼ満員。此処の鮨は確かに旨いが、横で淳子が「旨い、旨い」と声をあげ、高い握りを次々に注文するのには、些か複雑な気持ちであった。

 今日の写真は我が家のネコどもの暑さ対策ポーズ。左のラーは淳子の机の上でネコを枕に寝る。右のゴンタは廊下でお得意の大胆開脚ポーズ。

   


8月14日(水)

 明日は終戦記念日。戦後68年になる。戦没者に尊崇の念を表すのは総理大臣として当然の義務だと強く語っていた安倍総理は、結局、明日の靖国神社参拝を見送った。残念な気もするが、周囲の情勢がそうさせないのだろう。特に、米国が総理の靖国参拝にはネガティブな反応を見せているのが気がかりだ。先般、習近平主席と韓国の朴大統領が相次いで訪米してオバマ大統領に日本の歴史認識についてクレームをつけたことが効いているのかもしれない。

 先の大戦で交戦国であった中国が日本の総理大臣の靖国参拝について反対するのは、妥当かどうかは別として、反対の根拠について理解できないこともない。だが、交戦国でもなかった韓国が反対するのは理不尽というより他はない。先日の日記で書いたように、事大主義の復活だろう。この件に関して、今日の産経新聞に興味ある記事を見つけた(以下青字で引用)。

 
日本政府高官は今春訪米し、米政府高官らに首相の歴史に関する考え方を説明して回った。靖国参拝に関しては「中国の言う軍国主義化など全くない」と述べた。韓国の反発については、こんなやりとりがあったという。

 日本政府高官「そもそも日本は韓国と戦争をしていない。戦没者をまつる靖国への参拝に関し彼らに文句を言われる筋合いはない」
 米政府高官「初めて聞いた。そうだったのか…」

 韓国は今でこそ「日本政府、政界や指導者の靖国参拝はあってはならない。韓国政府の立場は明確だ」との見解を示している。だが、韓国政府が靖国問題を強く主張しだしたのは最近のことだ。
 「ハイレベルで靖国参拝に批判の声をあげだしたころ、韓国政府当局者に『直接関係ないだろう。なぜなんだ』と理由を聞くと『中国が反発しているのでわが国も何か言わなきゃ…』ということだった」と、外務省幹部は振り返る。


 要するに、親分の中国が反発しているので韓国も歩調を合わせなければならない、という理屈だ。これが事大主義ではなくて何だろうか。

 写真は今日の東京タワー。終戦記念日の特殊電飾なのか、従来なかったような極彩色のネオンだ。


8月15日(木)

 終戦記念日の今日は木曜だけど体操はお盆なので休み。毎年終戦記念日には「大田区平和都市宣言」とかいって、多摩川の花火大会。今年は昨年に続いて、柴田クンとY女を呼んだ。Y女は時々このブログに登場するが、高校の同級生で名前を水沼さんという。結婚前は矢野さんで、高校時代の愛称が「ヤッコ」だったので、今でもヤッコと呼んでいる。水沼さんの御主人は丸紅の商社マンで、デュッセルドルフ駐在時代が丁度重なった。御主人とも親しくしていたが、帰国後暫くして亡くなった。で、ヤッコはメリーウィドウに早や変わり。

 大田区の花火大会は年に1度なので出来るだけ色んな方を招待することを原則にしている。が、去年が強風のため打ち上げても直ぐに散ってしまい、打上げ本数も半分ほどで終わった。柴田クンが去年のリベンジに是非今年も来たいというので、原則を破って半ば押しかけ招待となった。

 今日は手作り夕食は止めて出前の鮨を取った。「銀のさら」という出前チェーンの鮨だが、味もよく、値段もリーズナブルなので親戚を呼んでの集会にはよく使う。5時半に東急東横線の田園調布で2人をピックアップ、6時前に家に着いた。柴田クンが例によって「ワシが来たら絶対勝つ」というので、淳子も居ることだし鮨を摘まみながら早速TVで野球観戦。Y女は若干不満そうだったが、花火が上がるとベランダに出て大喜び。今年は風も弱く予定通り1万発(?)全部を打ち上げた。

 打上げ場所の六郷土手からは1.5qほど離れているのだが、ベランダからとてもよく見える。河川敷にはたくさんの人が集ってきて、草の上にゴザを敷いて見物。こちらは7階のベランダから高みの見物で何だか得をしたような感じ。だが、今年は花火に集中したので写真はあまりよいのが出来なかった。
(写真は夕食の様子と花火)

  


8月17日(土)

 久し振りに読響の定期コンサートで「みなとみらいホール」へ。前回は5月19日だったから実に3ヶ月振り。しかも前回の演目はショスタコの1番とかドボルザークの8番とか、どちらかというと上級向きだった。ポピュラーな名曲が聴きたい気分だったので今日の演目はピッタリ。所謂、3大協奏曲で、メンデルスゾーンのバイオリン(ホ短調)、ドボルザークのチェロ、それにチャイコフスキーのピアノ第1番だ。ソリストは、バイオリンが小林美樹、チェロがドミトリー・フェイギン、ピアノが田村響。フェイギン以外は売出し中の若手奏者。ドボルザークのチェロはどうしてもロストロボーヴィッチの印象が強いので、同じロシアのフェイギンがはまり役だ。指揮者の広上淳一も久し振り。

 最初がメンコン。小林美樹の演奏は初めてだったが、その技量は大したもの。力強く且つ繊細にメンコンのロマンを歌い上げた。カデンツァの部分では、新しく読響のコンマスとなったダニエル・ゲーテ(デービット・ノーランの後継)が彼女の演奏に聞き惚れるような表情を見せていた。チェロのフェイギンも力強い演奏で迫力があった。ピアノの田村響も良かった。

 今日のようなプログラムはどれも聴きなれた名曲なので、家に帰る道を間違わず歩くような安心感と、それでいて初めての演奏家だと、周囲の景色が違って見えるような楽しさがある。素晴らしい耳の保養をさせてもらった。


8月19日(月)

 今回(第149回)の芥川賞受賞作「爪と目」(藤野可織)を読んだ。最近の芥川賞の作品にはどうにもついて行けないものが多い。昨年の「苦役列車」(西村賢太)や「共食い」(田中慎弥)のように物語の設定が不潔感を伴うもので、且つ内容もアウトローの独りよがりとしか思えない作品は、ストーリーを追うことはできても決して共感は生まれない。また、前回の「ab さんご」(黒田夏子)のように、文体自体が漢字を全く使わず、最初から読者に背を向けたような作品はストーリーを追うことすらできない。

 その点、「爪と目」は、3歳の女の子が語り手となる物語なので、読んで行く上で特に抵抗感はない。自分の母親が死んで、父親が不倫相手の若い女性と再婚しようとしている。女の子は新しく自分の母となるその女性を「あなた」と呼んで、あなたとの対話を通してストーリーを展開していく。面白い試みだ。女の子の観察するあなたは、一昔前に流行った、フランソワーズ・サガンの描く主人公のようにアンニュイ(物憂げな)なタイプの女性。女の子はあなたには抵抗しないのだが、心の中ではあなたを受け入れていない。が、時が経過するうちに女の子は自分があなたと同じタイプの人間であることに気づき、あなたを憎悪するようになる。最後はあなたに対して暴力行為に及ぶのだが、そこで物語りは突然終わる。結末を読者に預ける狙いかもしれないが、預けられた読者の方は結局どうなったのかサッパリ分からない。

 最近の芥川賞の受賞作はもちろん候補作の中にもオーソドックスな小説は見当たらない。先ず、文体が奇抜であることが受賞の条件なのだ。評価の対象は新鮮味であり独創性であって、ストーリー・テリングの面白さは二の次なのだ。絵画に例えるなら、美しく描かれた作品は取り上げられず、構図の面白さ、色使いの奇抜さだけが評価される。だから受賞作はどれも抽象画の範疇となる。抽象画に芸術性がないとは言わないが、少なくとも私には理解できないし、ついて行けないのだ。


8月21日(水)

 今日は淳子が休み(従来木曜が休みだったが、シフトの都合で水曜になったらしい)で、昼過ぎにコーナンへ買物に出かけた。メインはねこグッズだが、ティッシュやトイレットペーパーなどの日用品も買い込む。淳子はテーク・チャンスして、自分の靴や小物などもこっそりカートに忍び込ませている。3時ごろに帰宅したのだが、その途端、一点にわかに掻き曇り、雷の轟音とともに大粒の雨が落ちてきた。ゲリラ豪雨の来襲だ。テレビでは「多摩地方に大雨警報」のテロップも流れている。

 素晴らしいタイミングで帰ってきたものだと、リビングの窓から外の豪雨を眺めながらふと思い出した。今日は午後から多摩川上流の小河内(おごうち)ダムで、渇水対策として人工降雨の実験が行われる予定だった。この豪雨が、まさか?! ネットで調べてみると、同じ疑問からか、多くの書き込みがある。
「これって、人工降雨?」
「人工降雨装置、やりすぎじゃない?」等々…。

 夜になって真相が分かった。午後2時に人工降雨装置を稼動させところ直後に少し雨が降ったが直ぐに止んでしまった。その後、下流の地域では豪雨だったが、ダムの上空では降らなかったという。元々このダムは立地が悪かったのか、降雨量が極端に少ない。下流で降ってもダム周辺は降らないことが多い。小河内(=しょうがない)ダムと揶揄される所以だ。そして、今日の人工降雨の実験結果からすると、この装置も「しょうがない装置」ということになるのか。


8月22日(木)

 今朝、パンを食べていて、右上の前歯3本のブリッジがポロリと外れてしまった。更に、11時頃散髪に行き、そのまま午後からの体操教室に回ったのだが、オバサンたちが顔を見るなり「どうしたの?」と右眼を覗き込んだ。
 鏡を見て驚いた。右眼が真っ赤だ。充血ではなく出血している。床屋で何かあったのだろうか。全く記憶にない。皆さん心配してくれるが、不思議なことに痛くも痒くもない。でも、見てくれは極めてよろしくない。前歯が欠け落ちて右眼は真っ赤。まるで、海老蔵が六本木のバーで暴力団に殴られた跡のような形相だ。

 体操の後、歯医者に行った。片岡デンタルクリニックの新オフィスは体操教室の直ぐ近くだ。片岡先生は歯を診るより先に野球の話がしたいらしい。
「一昨日は失礼しました」だって。
 タイガースが 7-0の勝ちゲームを横浜に逆転負けしたことを言っているのだ。何しろタイガースは横浜だけに負け越している。先生としては嬉しくて仕方ないらしい。肝心の歯の方は状態があまり宜しくないと言う。とりあえず外れた歯はしっかり付けてもらったが、台のやり替えが必要だという。また大金がかかりそうだ。

 眼は白内障の手術と関係があるのかどうかが分からない。若葉歯科医院まで行きたいが時間的に無理だ。明朝まで様子を見ることにした。それにしても、明日は「ユーモアスピーチの会」、明後日は宇部興産の旧職場の連中とミニOB会が予定されている。それまでに治ればいいのだが…。


8月23日(金)

 朝から雨が降ったり止んだりでとてもむし暑い。午後、雨の合間を縫って蒲田の若葉眼科病院に傘を持たずに出かけた。病院は蒲田駅から徒歩6〜7分のところにある。もう直ぐ病院という所まで来て大粒の雨が降り出した。近くにオリンピックがあるので、とりあえず店に入りビニール傘を探した。大き目のジャンプ傘が 299円! 安くなったものだ。昔は傘の修理という職業があったが、今では傘は使い捨ての商品になってしまった。

 何時も診察してくれる中山先生は金曜日はお休み。代りに肥留川先生という同じく女医さんが診察してくれた。
「これは全然問題ありません。眼球の表面の層が何かの拍子に出血したようです。例えば、腕を蚊に刺されても出血しますが、殆ど目立ちません。が、眼球の中は白目の部分に血が拡がるのでとても目立ちます。外見はあまりよくありませんが、放っておけば4日〜7日で治ります」とのこと。
 白内障の手術とも関係がなく気にすることはないと言うので一安心。

 病院から出ても未だ雨は降っていた。少し早いが、その足で夕方の集会「ユーモアスピーチの会」に出かけることにした。蒲田駅から東急多摩川線で多摩川へ。そこから東横線に乗り換えて、直接新宿三丁目まで。更に丸の内線で中野新橋へ約1時間で着いた。中野でも雨が降っていたので299円の傘が大活躍だった。何時もより1時間も早く着いてしまい、何もすることがないので、台所で食事の支度をするのを見ていた。今日は田村さんと荒野さんが手伝いに来ていて、児玉さんとお手伝いの浅田さん、4人で20人分の食事を作っていた。今日は特に参加者が多い。

 6時を過ぎると続々とメンバーが集ってくる。会議室とはいえスペース的には10人程度がいいところ。そこに20人が入ると小さなクーラーだけでは殆ど効き目がなく、部屋の中はむし暑いことこの上ない。参加者が多いと差し入れもたくさんで、巨大スイカまで登場した(写真)。

 それと、困るのは報告書をHPにまとめる仕事が残る。各人のスピーチのポイントを紹介し、写真とともに掲載する。今からやれば徹夜してもできそうもない。今回は1日遅れで勘弁してもらおう。


8月24日(土)

 昼に昔の仲間が溜池「頤和園」に集まった。宇部興産/機会営業の面々だ。今日のメンバーは年齢順に、末永俊彦、梅木正二三、岸本脩、大住辰六、岩本興治、花田秀虎、真鍋友之、堤凡人、村田隆博の諸氏と私の10人。「機械営業ミニOB会」と称する会は毎年8月の盛夏に頤和園で行われる。趣旨としては生存確認のための集りということになっている。毎年、私は会の様子をアルバムにまとめて、このHPで公開する。メンバーだけでなく、機械営業のOBや現役の社員が結構注目しているようで、「懐かしく拝見しました」といったお礼のメールをたくさん頂戴する。

 どうしたことか、今日はカメラを持って行くのを忘れてしまった。写真を撮ることが出来ず、アルバムも作成できない。大変申し訳ないが今年はアルバムなしということで御勘弁願う。今日は、私のエッセイ集の上梓記念という趣旨も加わり、メンバーの方々と宇部在住の旧プラントの方々からの過分な御祝儀を頂戴してしまった。この場を借りて心からお礼を申し上げます。


8月28日(水)

 何だかバタバタしていて日記がかなり飛んでしまった。昨日辺りからかなり涼しくなってきたようだが、昼の気温は相変わらず30℃オーバー。それでも湿度が低い所為か秋の気配を感じる。

 その後、眼の出血は昨日くらいに完全になくなった。若葉の先生の言ったとおりだ。が、歯の方はなかなかてこずっている。こちらは片岡先生の腕が悪いのか、昔から歯の手入れを怠っていたトガが出たのか、右上の前歯3本のブリッジが上手く行かない。片岡先生は入れ歯にすることを提案したいようだが、入れ歯は絶対にイヤだと釘をさしている。結局、台をやり替えて新しいセラミックで作りかえるとか、1本3万円で9万円もかかるらしい。

 その昔、父が虫歯は「虫は虫でも金喰い虫だ」とさかんにぼやいていたのを思い出す。当時は今のようにセラミックなんてなかったから人工歯はすべて金歯だった。大口開けて笑うと、口の中が輝いて見えた。その父は、晩年、今でいう認知症に罹り、私の齢のときには殆ど見当識がなかった。そのDNAを受け継いでいるわけだが、今のところ認知症の自覚症状はない。その点は幸運だと思う。

 我が家のネコどもだが、ラーはこの夏3匹のセミをなぶり殺した。セミも殆ど居なくなったので3匹だけの犠牲で済んだことはラッキーだった。ゴンタは相変わらずニッチの場所が好きとみえて、淳子のベッド横の書類籠を新たな別荘に定めフィット感を楽しんでいる。その写真を紹介する。左の写真から5分も経つと向きを変えて新たなフィット感を楽しむ。右の写真を見るとわかるのだが、耳の下にポツンと白く見えるのは肥満細胞腫と呼ばれる腫瘍だ。以前、手術で切除することを動物病院から提案されたが、かなり大掛かりな手術になるようなので未だ決心がつかない。


  
 


8月29日(木)

 今日は長女、恭子の45歳の誕生日。恭子は今年1月にオーストラリアの Flinders大学看護学部を優秀な成績で卒業した(詳細は1月12日の日記を参照願う→ こちらから)。卒業後1年間は現地で実際の仕事に従事するプログラムにも選ばれて、リハビリ病院で半年間、正看護士(Registered Nurse)として働き、現在は整形外科病院に勤務している。

 オーストラリアでは看護師は引く手あまただと聞くが、実際は大違いで10人に3人ほどの狭き門らしい。従って、1年間のプログラムが終われば、引き続き仕事に就けるかどうかは全く不明、というより外国人の場合は先ず無理というのが実状らしい。そうなると、日本に帰国して看護士の仕事を探すことになるが、45歳という年齢を考えるとそれも簡単ではないだろう。しかも、オーストラリアの資格は日本では通用しないので日本の国家試験を受ける必要がある。恭子の場合、習得した医学用語はすべて英語なので、新たに日本語での勉強が必須だ。恐らく1年くらいかかるだろう。すべて順調に行けば、2年後にオバサン看護士の誕生となる。

 フィリピンなどの看護師が日本で仕事を見つけようとすると日本語の勉強が大きなハードルになるという話はよく聞くが、幸い恭子のケースではそれはないだろう。欲を言えば、英語と日本語のバイリンガルの看護士が優遇されるという状況が出てくれば、オバサン看護師といえども鬼に金棒なのだが…。

 先日、宇部在住の巨人ファンから「最近は野球の記事がないですね」と、嫌味なメールを頂戴した。本来なら、1昨日からの巨人 vs. 阪神3連戦でタイガースが願わくば3連勝、悪くても2勝1敗すれば、今日のブログから大々的に野球ネタが復活するはずであった。それが、あろうことかタイガースの3連敗に終わった。今年のリーグ優勝は先ず無理だろう。これは敗北宣言でもある。しかし、日本のプロ野球にはCS(クライマックス・シリーズ)という敗者復活戦がある。斯くなる上はそれに期待をかける以外にはなさそうだ。


8月31日(土)

 また1ヶ月が終わった。今年も2/3が過ぎてしまった。毎日の雑事や期限付きの頼まれごと、コンサートやサークル活動、受験生の学習指導、それに最近は興味半減のプロ野球中継…等々に追われてアッという間に日々が過ぎていく。もっと大切な仕事を置き去りにしながら…。

 その1つがパソコンの切り替えだ。現在使用中のヘミングPCはXPだが、もう10年も使っていて限界に近い。それにマイクロソフトのXPのサポートはもう直ぐ切れる。Windows 7 ないしは 8 に切り替える時期に来ている。市販のメーカー品を購入すれば簡単なのだろうが、実はそれができない事情がある。私のPCの先生、縄田さんからヘミングPC Windows 7 の新鋭機を譲り受けてしまったからだ。

 ヘミングPCは手作りのカスタム・メイドで普通のPCのように簡単ではない。しかも、その新鋭機はすでに縄田さん用にカストマイズされている。例えば、メイルアカウントには既に縄田さんのアカウントが登録されていて、これを削除できない。ということは、新鋭機に切り替えてもメールの送受信ができない。そんなややこしいPCは廃棄して新しいメーカー品を買えばいいじゃないかと思う。確かにそうしたい。が、できない事情がある。

 このHPの愛読者の中には縄田さんを御存知の方もおられると思うが、現役時代は特異な風貌と素晴らしいアイデアの持ち主として社内では有名人だった。元々は計装のエンジニアでメカトロには滅法強かった。ところが、引退後視力の低下に悩まされ、ここ数年で殆ど盲目に近くなった。老後の唯一の楽しみであったPCが使えないのだ。縄田さんが会社時代の同僚と共同で製作した「影絵で見る民話の世界」という素晴らしいHPがある。
こちら

 山口県に伝わる色々な民話を影絵で紹介するものだが、既に20万を超えるアクセスがある。縄田さんはこのHPの英語版を作成し世界に発信するのが夢だった。私も「耳なし芳一」の翻訳に一肌脱いだことがある。この素晴らしいHPも2006年9月10日で更新が止まっている。縄田さんは自分が出来なくなったHPの管理人を私に引き継いでもらいたいのだ。縄田さんから特に要請があったわけではないが、私には分かる。そのために大切な新鋭機を私に譲ったのだ。

 そんな因縁のある Windows 7 新鋭機を是非使いこなしたい。そのためには縄田さんの先生であるヘミング氏に色々とお願いをしなければならない。それが億劫なのだ。なにしろ、大先生、ヘミング氏の仰ることは私には殆ど理解できない。メールで御教示いただければ、じっくり読んで考えることも出来る。が、ヘミング氏は PCの質問に関しては電話でなければ受け付けない。大先生の口から次々と飛び出す専門用語は私にはまるでアラビア語に近い。それでも、勇を鼓して大先生にお願いするしかない。9月には是非とも実行したい。












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