2月28日(金)
今朝は好天なのだが、西の空には雲が多く富士山は見えなかった。ところが、風が雲を運んでいき、少しの間だが、霊峰が姿を見せる時がある。そのチャンスを捉えたのが右の写真だ。
コロナウィルスの拡がりがどんどん私たちの生活にも影響を及ぼしてきている。実は、今日、宇部興産の昭和41年入社組が新宿に集まるはずだった。今回の参加者メンバーには宇部興産の社長を3期勤めた田村浩章氏や中途退社で鴻池運輸に転じ、同社の社長から現在は会長の辻卓史氏らの珍しい連中も名を連ねていて、その分、楽しみでもあった。特に、辻君は昨年末に旭日中授賞を受賞したというので、お祝いを言うチャンスでもあった。
ところが、コロナウィルス騒ぎの影響でこの集まりは中止になってしまい、夜の予定がポッカリと空いてしまった。それならばと、山王病院のロビーコンサートに行くことにした。この病院では、定期的にロビーを開放して「夕べのコンサート」と称してアーティストを招いて1時間余りのコンサートをやる。下の写真は、その一例だ。ステージにあるグランドピアノは、オーストリア製の「ベーゼンドルファー」。日本では珍しいピアノだ。
そして、今夜は多田周子さんがこのステージで歌うことになっている。この企画が決まったとき、私も是非にと誘われたのだが、上の同期会とバッティングで、残念ながらお断りするしかなかった。だが、同期会が中止なら、是非、ロビーコンサートに行きたい。山王病院は人間ドッグの病院だ。コロナウィルスに感染する危険はないはずだ。
早速、山王病院のHPを開いて、本日のコンサートを確認してみると、下記のような記事が出てきた。
→ こちら。なんじゃい。山王病院よ、お前もか!
2月27日(木)
第4木曜日は「四季の会」の月例会がある。今日は、一日中、その関係のメール受送信で振り回された。それもコロナ騒ぎの一環であった。朝一番に、「四季の会」のメンバーの一人、S女からメンバー全員にメールが入った(このS女は昨日のS女とは別人)。自分の娘が大風邪を引いた。ウィルス性肺炎ではないと思うが、自分が会合に出席して皆さんに感染するようなことがあっては大変。だから、今日の会は欠席する、というもの。
その後、直ぐに、会の幹事のN女から私宛に「世の中騒がしくなってきましたが、我々の今日の会も中止にしたほうがいいのでは?」という相談だった。私一人に送られてきたので、長老(私が最高齢だ)に相談しているのだと判断した。だから、N女に返信を書き、今日の10人以下の集まりの中にコロナ肺炎に感染している誰かが居るというのは、確率からいって、ジャンボ宝くじの1等と前後賞が当たるよりも少ないだろう。だから、勇気をもってやるべしとの内容だった。
その返事を書くのに昨夜の河合さんのインタビュー記事を紹介したものだから、少し時間がかかってしまった。その間に別の会員、M氏から「今日は休会にすべし」というメールが全員に入った。すると、他の会員からも「自分はこう思う」というメールが飛び交うようになった。そのメール攻撃にかまっている間に体操教室に行く時間になった。このまま、自分が体操教室に出かけたら、四季の会は「船頭多くして船山に上る」になってしまうのではないだろうか、心配された。そこで、体操教室は休むことにした。
その後、メールのやり取りにかかり切りで買い物にも行けない。体操教室に行ったなら、帰りに買い物を済ませてくるので、夜の食事も作れるが、メールの対応にかまっていては夕食の材料も買えない。夜、四季の会に出れば、帰りに外食で済ませることができるが、四季の会が中止なら、夕食を準備する必要がある。少しの間、PCの前を離れて、近くのスーパーに買い物に出かけた。帰ってみると、大勢は「本日中止」に傾いていて、幹事のN女も「中止」宣言をしている。今更、私が抵抗すると、混乱してしまうだろう。結局、私も「中止」に賛成せざるを得なくなった。
夜、ぽっかり空いた時間ができた。お蔭で、このブログの記事も現状に追いついてきたが…。左の仏花 9w-2020は、夕方の買い物で急いで買ってきたもの。春に菊というのもどうかと思うし、色の配合もピンとこないが、この花が一番元気よさそうだった。
2月26日(水)
今日は、夜、集会に出かけた。コロナ騒ぎでイベントや集会は、次々に中止となるが、この集会は予定通り決行することになった。ちょっと変わった集まりで、場所がユニーク。下北沢の「ビッグベン・ビル」のB1にある「B&B」というところ。「B&B」は何の略かというと、「Book and Beer」。つまり、「ビールの飲める本屋さん」ということらしい。ただ、中に入ってみると、本屋というよりも図書館の雰囲気。本棚ビッシリと本が並んでいて、至る所に丸椅子が置いてある。客は、椅子に座ってドリンクを飲みながら本を読んでいる。ブック・カフェというべきか。
集会場も、両側に本棚のある部屋に丸椅子を並べてステージを観る格好に座る。ステージは、テーブルでその向こうには、当日のゲストの席があり、その後ろにはスクリーンがある。映像やPDFを見せるのだろう。イベントの中身はというと、二人の作家が登場、共通のテーマについてお互いの考えを話す「トーク・イベント」。
今日の出演は、「出生前診断の現場から」の著者、望月淳氏と「選べなかった命」の著者、河合香織さん。望月氏は本も書くが、本職は産婦人科の医師。東北大学・大学院の講師でもある。河合さんはノンフィクション作家で、彼女の著書「選ばれなかった命」は昨年度の大宅壮一「ノンフィクション大賞」を授賞した。今日のお目当ては、当然、河合さんだ。大宅賞は、私が物書きの真似事を始めてから、最も価値を置いている賞だ。芥川賞などは取れるはずもないが、欲しくもない。大宅賞にはあこががれる。
しかも、河合さんは、私の大学・神戸外大の後輩だ。それに、専攻はロシア語なのだ。1974年生まれというから、今年46歳になる。彼女は、2004年に「セックス・ボランティア」という聊か怪しげな本を出してデビューした。とはいえ、ポルノではない。障害者のセックスをテーマにした内容だ。その後、2009年の「「ウスケボーイズ-日本ワインの革命児たち」で小学館ノンフィクション大賞を取り、昨年度は大宅賞と、目下、売れっ子作家の一人だ(→こちら)。
現在は、各紙の書評を担当している他、インタビュアーとしても忙しい。直近のものでは、コロナウィルスの拡大に関して、政府の専門家会議のメンバー、押谷仁教授にインタビューしたものがある(→こちら)。
私には、近々、河合さんにインタビューして、神戸外大・関東支部HPびある私のコラムで紹介するという魂胆がある。また、河合さんは本校の大学祭でも講演をしているので、関東支部でも河合さんを講師に引っ張り出そうと虎視眈々と狙っている。その筆頭格が「東京ウィメンズくらぶ」と称するOGたちの組織だ。だから、今日はその組織の世話人代表をしているF女を連れ出して、一緒にトークを聴いた。
トークの内容は、両方の講師には最も身近な問題「出産前検査は是か非か」という問題だ。出産前検査で生まれてくる児は五体満足の赤ちゃんか、それともダウン症などの病気をもって生まれてくるのかが分かる。もしも後者だったら、出産せずに堕胎という選択をする両親が多い。これは果たして正しい選択なのだろうか。私は男の立場としては、自らが出産の苦しみを経験するわけではないので、生まれてくる児が障害をもっているなら、その子の人生を考えると、苦しみの連続だろう。それなら、生まれてこない方がいいのではないか、と思ってしまう。が、望月氏にいわせると、それは、所謂、赤子殺しで倫理上許されないことだとする。なかなか難しい問題だ。私は、事前に河合さんの本をじっくり読んでいたので、議論の方向にはついていくことができた。が、F女は専門的で難しかったとの感想だった。写真は、左が望月淳氏、右が河合香織さん。
2月24日(月)
昨2月23日は今上天皇の誕生日で祝日。今日は、その振替休日だ。淳子は、昨日は職場の同僚と何処かに出かけたようだ。今日は、休日出勤とかで6時前にやってきた。久しぶりに淳子の好きな生餃子を焼き、白湯(パイタン)鍋の夕食にした。今日のオープン戦は、ヤクルトの石川と小川を打てず、阪神は1-2の9回表、代打・上本のセカンドフライ・エラー(記録は三塁打)で1点を挙げ、やっとのことで、2-2の引き分け。一応、録画は撮ってあるが、あまり面白くもないゲームなので、別のチャネルでやっていた「名球会・オールスター」という、1~2年前のイベントの録画を一緒に観た。
昔の名選手が次々と登場し、懐かしかった。特に、ブクブクに太った野茂が以前と同じトルネード投法で投げるのが面白かった。現役選手も出場していて、タイガースからは鳥谷、福留が出ていて興味を引いた。ペナントレースでは全く表に出ることのなかった鳥谷が嬉々としてプレイしている様子も見応えがあった。淳子は食事、入浴、録画の3点セットを済ませて、至近距離の新しいアパートに帰っていった。
2月22日(土)
次女の淳子が、また、転居することになった。今度は、何と、下丸子2丁目! 我が家から徒歩5~6分の至近距離だ。そんなに近くなら、我が家に戻ってくればいいのだが、そうはいかない事情がある。それは、ケンゾーとラー子のことだ。2016年11月、淳子がこの家を出たとき、我が家には2匹の猫が居た。淳子は自分になついていたラーを連れて行った。ゴンタが私の伴侶として残ったのだが、そのゴンタは1年後に死んでしまった。その後、私も一人住まいは寂しいので、手乗り文鳥のケンゾーを飼うことにした。これには淳子も大賛成で、ケンゾーという名前まで淳子がつけた。で、淳子が我が家に帰ってくるとすると、ラーも一緒だ。ラーが我が家に来たら、狼と羊を同じ小屋の中で飼うようなものだ。忽ちのうちにケンゾーはラーの餌食になるだろう。それはできない。
私も今年、80代になる。体力も弱っている。ヘルパーからケアマネへの道を歩んできた淳子としては、自分がもっと近くに居なければならないと判断したのだろう。幸い、至近距離にペット可のアパートが見つかった。ここなら、ラーとケンゾーは平和共存したまま、自分は父親の直ぐ近くに居ることができる。しかも家賃は現状よりも1万円安い。ということで、今回の転居を決めたものだと思う。
昨日は、私も車を出して、池上のマンションから今度の下丸子のアパートまで転居の小物を運んだ。今日は、引っ越し業者が家財道具一式を運んでくる。家財道具といっても淳子は必要最小限のものしか持たない。一緒に居るときから、私の部屋はゴミ屋敷、一方、淳子の部屋はいつも小ぎれいで整然としていた。今度も手早く片付けるだろう。と、思っていたら、夜、風呂に入りにやってきた。自分の家の風呂場は物置に使い、風呂は我が家に入りに来るらしい。それもいいだろう。食事の要るときだけは前以て連絡してくれれば、何時でも用意できるようにしたい。
右は仏花、8W-2020。春の訪れを告げるチューリップを主役にした。
2月20日(木)
今日は体操教室の後、女子会が教室のある駅ビルの隣の「バーミヤン」であった。私が最初に場所確保のために店に入った。コロナ騒ぎでガラガラかと思いのほか、店内はかなりの混雑。8人が座れるテーブルが見当たらない。店の人に頼んで、色々と調整してもらい、漸く、4人ずつが向かい合うテーブルを確保できた。普通なら、私は中央の席に座るのだが、補聴器を左耳につけている関係で、右端の席に着いた。
茂ちゃんと熟女たちがやってきて、思い思いの席に着いた。私の向かいには最高齢(今年90歳)のN女。左隣がメンバー最古参の I女だ。最初は茂ちゃん中心に進んでいた会話も次第に個別に分かれるようになった。私のグループは、N女と
I女と私の3人となった。お互いが何処に居住していたかが話題となった。N女が、突然、自分の家は「やっちゃば」の隣にあった、と発言して、I女も私も「???」。
「やっちゃば、知らないの~!」N女は驚きの声を上げる。N女の説明では、野菜市場らしいのだが、まったく見当がつかない。スマホで検索して、漸く、意味が分かった。
「やっちゃ場」=「やっちゃ」は競りのかけ声で、東京では、青物市場のこと。
へぇー、知らなかった。そういえば、N女は私より1世代上なのだ。そんなことを話していると5時になった。皆さん(殆どが主婦)帰る時間だ。帰りの車の中で思い出した。「写真を撮るのを忘れていた」
2月19日(水)
今日は、「ユーモア・スピーチの会」の2月例会があった。今年から第4水曜日にしようと、一旦、決めた。が、26日には、どうしても外せない集まりがある。だから、私は休む積りにしていたのだが、それなら、1週間前倒しにしようと児玉さんが言い出して、19日に決まった。参加準備していた会員の方にとっては、突然の変更。お蔭で出席者は6名と少なかった。「それならば」、との児玉さんの発案で夕食には松阪牛のしゃぶしゃぶに決まった。セシリア館(児玉邸の別称)は不思議なところで、常時、冷凍庫にはA5の松阪牛があるような気がする。しゃぶしゃぶをやると分かったら、前日に解凍しておけば食卓に出せるのだ。だが、量的には限度があって、大勢のときは決してやらない。私の都合で月例会を1週間早めたお蔭で、松阪牛のしゃぶしゃぶを頂戴することになった。私には、中2日の松阪牛である。こんなことは、もう二度とないだろう。
今日の松阪牛は、月曜日の我が家のしゃぶしゃぶと較べると、今日の方が軟らかかった。同じA5でも部位によって硬さは変わるようだ。我が家で食べたのは肩肉、こちらはモモ肉だったようだ。
右端の写真、「北秋田純米大吟醸」は2年連続で「全国燗酒コンテスト」で最高金賞を獲得した。黒河内大使の差し入れ。
2月18日(火)
珍客の来訪があった。ベアトリス・キャベスタニーさん、我々仲間内では、キャベさんと呼んでいた。もう半世紀近く前のこと、宇部興産がトルコ向けにラクタム・プラントを受注した。プロジェクト・チーム(TL部)が宇部に編成され、東京の機械営業部に居た私は、急遽、このチームに加わることになった。客先のトルコ石油化学公社(PETKIM)との折衝やプロジェクト全体のコーディネートが私の仕事だった。
宇部に赴任した私は、先ず、TL部員たちの英語力アップの必要を感じた。PETKIMのエンジニアたちは殆どが英語達者だった。彼らを指導、教育する立場の日本のエンジニアが、コミュニケーション手段の英語に関しては、向こうが先生、こちらが生徒のような現状では具合が悪いと判断した。そこで「TL英会話」なるものを作って、英会話の特訓をすることを計画し、教師の候補を捜した。最初、当時、宇部本社の英会話教室の先生をしていた三根利夫さんを考えたが、若い女性の先生ならみんなが参加するのではないかという声が大きく、先ずは、若い女性の先生を捜すことにした。その時、誰の情報だったかは忘れたが、小野田のサビエル高校に新しく、若いスペイン人の女の先生が赴任してきたことを知った。「当たって砕けろ」で、早速、サビエル高校に連絡して、スペイン人の英語の先生とやらに面会を求めた。
面会室で待っていると、出てきたのは、ファッション雑誌から抜け出したようなチャーミングな若い女性。一目で最初に金的に出会ったように感じた。かなり日本語を喋るとは聞いていたが、どんな英語を喋るのかを知りたかったので、最初から英語で話した。時々、スペイン語の訛りなのか「スペシャル」を「エスペシャル」と言ったりする点が気になったが、他はネイティブと変わらない流暢な英語だった。
その若い女性が、ベアトリス(スペイン語ではベアトリーチェ)・キャベスタニーさんであった。TL英会話は、彼女のおかげで、毎回、満員の盛況だった。TLプラントの仕事が終わると、彼女との接点は切れた。が、その後、彼女はサビエル高校の校長先生に出世し、小野田市の重鎮の一人となった。そして、私は環境関係の仕事で宇部市や小野田市との接触が増えていった。その頃のある出来事を、当時の宇部興産のイントラネットに投稿したエッセイがある(→こちら)
会社退任後、私は東京の大田区に居を構えたが、ベアトリスさんも東京に転勤となった。サビエル高校退任後の彼女は山口のサビエル教会の修道女(シスター)をしていたが、本国の組織(イエズス会?)が彼女の勤務先を東京の小岩教会に配転したのだ。そして、12年前、私が今のマンションに転居したときに、一度、彼女を我が家に招待したことがある。ベランダから多摩川辺りの景色を観てビックリ。
「東京にもこんな素晴らしいところがあるんですね!」と、興奮した声を出したことを今も覚えている。
今日は、小岩教会に勤務する上でのストレスがあるのだろうか、「こんな話は教会ではできない」と言って、随分お喋りした。そして、小鳥好きと見えて、ケンゾーと楽しく遊んで、リフレッシュしたのだろう。最後は、「中村さん、あなたはこの世の中が必要とする人です。どうか、お元気で長生きしてください」と、言って別れた。尚、右の写真は彼女が持参した手作りのスィーツだ。スペインの菓子だと思うが、なかなか複雑な甘さで美味しい。何という名前の菓子か聞き忘れた。
2月17日(月)
ケンゾーがまた卵を産んだ。1月27、28日に各1ケ。2日前にも1ケ産んだので、今回の産卵期では4ケ目となる。ケンゾーが我が家にやって来たのは、2018年4月。生後1カ月で購入した。当時の日記を見ると、ケンゾーの写真が各所に現れる(→こちら)。最初の産卵は1年後だったが、ケンゾーの産卵歴は下記の通り。
① 昨年3月~4月、計6ケ
② 昨年11月~12月、計4ケ
③ 今回、今年1月~2月、計4ケ
1年間で14ケの産卵。確か、このブログの愛読者・佐藤さんの経験でもこれに近い数字だったので、この数字は標準的なものなのだろう。因みに、猶井小鳥店の池田さんからのメールでは下記となっている。
「ケンゾー君の産卵の件ですが、今期の産卵は①昨年11月~12月、②今回1月~2月、③これから3月~4月にもう1度あると思います。
これは標準です。心配しないでください。」
別に心配しているわけではないが、できることなら、ケンゾーの産卵の頻度を標準以下にする方法はないのかなぁ???
2月16日(日)
夜に次女の淳子と4女の康子(世田谷在住)を呼んで、しゃぶしゃぶパーティをもった。実は、昨年の終わり、淳子の親友、野戸史子さんから松阪牛500gを冷凍の状態で頂戴した。その賞味期限が近付いてきたので、別に、松阪牛ではないが、A5の黒毛和牛しゃぶしゃぶ用を200g買ってきて、合わせて700gを3人で食べることにした。松阪牛と名もなきA5の黒毛和牛の食べ較べでもある。
食べ較べの感想は3人3様であった。淳子は、硬い・軟らかいという尺度から見ると「A5黒毛和牛」が軟らかい、が、食べ応えという観点からだと松阪牛に軍配が上がると。康子は、松阪牛の方が肉がしっかりしていておいしいと思うと。歯の弱者、私の感想は、「A5黒毛和牛」の方がマッチ・ベターであるというものだった。
2月15日(土)
クラシック音楽作曲家の頂点にあるともいうべきベートーヴェン。1770年9月の生まれ。今年は生誕250年ということで、各地のコンサートホールでは、ベートーヴェン物が盛んに取り上げられている。今日は、ベートーヴェン特集でも、”極め付き”とでもいうべきコンサートに出かけた。神奈川県民ホールでの「神奈川フィル定期演奏会/名曲シリーズ第7回」だ。今回は、ベートーヴェン250年、神奈川フィル創立50年記念。意欲的といえば聞こえがいいが、欲張りそのもののプログムだ。演目を列挙すると下記のようになる。
(第1部)
・「レオノーレ」序曲第3番
・ロマンス第2番ヘ短調:Vn 奥村愛
・ピアノ協奏曲第5番「皇帝」より第1楽章:Pn 永富彩
(第2部)
・交響曲第1番より第1楽章抜粋
・交響曲第3番「英雄」より第1・第2楽章抜粋
・交響曲第5番「運命」より第1楽章
・交響曲第6番「田園」より、第1・第4楽章抜粋
・交響曲第7番より第1楽章抜粋
・交響曲第9番「合唱付き」より第4楽章抜粋
このプログラムを企画したのは、指揮者の現田茂夫だ。姉さん女房の佐藤しのぶが亡くなったから、殻を破ったのか。その現田が本日の指揮者だが、途中でマイクを取って聴衆に話しかけた。
「これだけの曲を全部完全に演奏しようと思うと、明日の朝までかかるでしょう。今日のコンサートの2時間余りの中に詰め込むのは大変でした。自分でもよくできたと思います」
コンサートは20分の休憩時間を含めて2時間半だった。ということは、現田茂夫の主導で、これだけのプログラムを2時間余りに、無理矢理'(?)詰め込んだということだろう。驚いたことに、第9番の第4楽章抜粋にコーラスを入れ込んだことだ。4人のソリストこそいないが、100人余りの神奈川フィル合唱団が実際にステージに上がって、「フロイデ・フロイデ・フロイデー♪」と歌ったのだ。お蔭で、第9のクライマックスは大迫力のうちに終わった。
今日の演奏会では、ベートーヴェンをこれでもか! というように叩き込まれた感があるが、それでも、Pnコンチェルト第5番はとてもよかった。ソリストの永富彩さんは、良家のお嬢さんといった風貌だが、テクニックと弾きぶりには感動した。とても迫力がある。日本には、ピアノの名手(特に女性)がたくさん居るなぁ、と感心を新たにした。
2月14日(金)
今日、2月14日は「バレンタイン・デイ」。今年も各所からバレンタインのプレゼントを頂戴した。
私が、毎年、いただくのは、体操教室の熟女たちからだ。今年は、昨日の13日に頂戴した。だから、毎年、2月14日に近い木曜日は休めない。昨日も、杉田インストラクターから私が受け取る「贈呈式」があった。「中村龍介さんに我々一同から感謝を込めて贈呈します」と袋に入ったチョコレートを受け取り、「有難う!」と、皆さんに見えるように掲げて一礼する。
どうしてこういうことになったのか。実は裏がある。毎年の茂ちゃん(杉田インストラクター)年末・年始のコスプレを写真に撮ってアルバムにしたものを皆さんに配る(⇒こちら)。また、年に3~4回ある「女子会」の写真もアルバムにして全員に配る。今回のチョコレートはそれらに対するお礼なのだ。
左の写真で左下の赤い箱「BEL AMER」が体操教室の皆さんからのプレゼント。上の「FLORAISON」は、Y女からのプレゼント、そして右の袋だが、チョット笑っちゃった。日本画家のO女からレターパックで送ってきたものだが、「バレンタイン昆布をどうぞ」とある。私の好きな「小倉屋の昆布」だ。私の本音がチョコよりもこちらの方が嬉しいことを御存知なのだ。
夜は「ゆるりの会」が、新宿の居酒屋「虎連坊」であった。今日は網谷氏が体調不良で欠席。このところ欠席続きの畑中氏は今日も欠席。ということで、小池、大家の両氏と私の3人という聊か寂しい会だった。が、人数は少なくても、2人分喋る大家氏が居るので、座が持たないということはなかった。
右の仏花2020-w7は、黄色いバラとガーベラが主役の積り。
2月12日(水)
今日はツキがあるのかないのか、判断がつかないが、またぞろ大変なことを引き受けてしまったように思う。一人の男性の通信教育による家庭教師のような仕事を引き受けてしまった。この男性は、私の会社時代の同僚の一人息子。現在48歳だが、独身で、定職がなく、ブラブラしている。その彼が現在受けている、某大学・通信教育(英語)の家庭教師の仕事である。家庭教師といっても、居住場所の距離が離れていて、メールのやり取りによる指導ということになる。昨日、今日と2日がかりで、テキストを拝見したがかなりボリュームがあり、時間がかかりそうな気がする。
それでなくても、エッセイやホームページの作成で、デスクワークはとても忙しい。その上、大学英語の指導まで引き受けてしまって、大丈夫かなという心配もあるが、ご両親に是非にと頼まれて、頼まれると断れない性分、引き受けてしまった。これかのスケジュールが益々タイトになりそうだ。これって、ツキがなかった方になるのかな?
[訃報] 俵田 忠(タワラダ・タダシ)さん
病気療養中のところ、ご逝去(行年84歳)。私は俵田家とは因縁が深い。私が入社した時は忠さんの御尊父・寛夫さんが宇部興産の副社長だった。同時に寛夫氏は音楽がお好きで、宇部市好楽協会の会長職にあられた。元々は音楽一家の方で、属(サッカ)家から俵田家に養子に来られた。著名な属啓成氏の義兄に当たる。その寛夫氏は海外から名だたる演奏家を宇部に招き、音響効果抜群のコンサートホール(渡邊翁記念館)で演奏会を開いた。私がロシア語の通訳をしていたということで、当時のソ連からの演奏家が宇部に来訪した時には通訳を仰せつかった。特筆すべきは、世界的ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ氏に宇部来訪の礼状をロシア語で書いたこと。懐かしく思い出される。
忠さんとは、仕事の上では直接の関係はなかった。が、私の最も親しかった外国人、アレックス・リーさんと忠さんは大の仲良し。リーさんが宇部に来ると、必ず俵田家に顔を出した。私も何度か同行させていただいた。忠さんの長男、拓君とは仲良しだ。拓君は宇部興産の機械に入ってきて、暫く一緒に仕事をした。なかなかの好青年だったが、今はもうオジサン。会社では秘書のグループ・リーダーをしている。今回は拓君の指図で秘書から連絡が入った。通夜、告別式は下記の通り
2月13日(木) 午後6時~7時 通夜
2月14日(金) 午前10時~11時 告別式
式場:無量山 傳通院 繊月会館; 東京都文京区小石川 3-14-6
TEL 03-3814-3701
2月10日(月)
今日は大変な失敗をやるところだった。結果からすると、何とか土壇場につじつま合わせができた。
毎週月曜日は、掃除のおばさんが来る日。3時~5時の間で、洗濯と掃除をしてもらうのだが、このオバサンが結構話し好きで、5時前に終わっても、5時半くらいまでお喋りしていくことが多い。鹿児島の出身で、亭主とは死に別れ、娘は結婚して近くにいるのだが、滅多に訪ねてこない。家では私と同じ独居老人だから、お喋りの相手がいないのだろう。今日も、何の話だったか忘れたが、喋りだして腰が据わった。適当に相槌を打って聞いていたが、5時半に下のゴミ置き部屋が閉まるからと帰っていった。
テレビをつけ、夕食の支度。カレーの残りだから簡単だ。ガスに火を点け、カレーの鍋をその上に置く。カレーができるまでに冷奴を作って、食べた。冷奴などというと、夏の一品だが、私は冬でもよく食べる。たっぷり削り節をかけると、これが良質の蛋白源になると誰かから聞いた。
その時に何故か、突然、今夜は何か観るものがあったのではないかと頭の片隅にひらめいた。面白そうなTV番組のあるときは手帳に書き留めてあるのだ。書斎まで行って手帳を見る。「6時半、恵比寿/おはし」というメモ書きがあった。ゲッ、きれいに忘れていた。今日はS女と夕食の約束があったのだ! 時計を見ると、5時50分。我が家から恵比寿までは最短で行くと40分ほどで行ける。着の身着のまま、ダウンのジャンパーだけを羽織って家を飛び出した。駅まではチャリで全速力。駅前にチャリを停めて、ホームに入ってきた電車に飛び乗った。空いていた座席に座ったが、肺はゼイゼイと悲鳴を上げていた。そっと深呼吸をしながら、ガスを止めてきたかが気になった。今更引き返せない。停めたことにすると決めた。
「おはし」に着いたのは6時40分近かった。S女は来ていた。
「遅れてゴメン!」
「許容範囲内だから大丈夫よ」というのを聞いて、肩の荷がドッサリ落ちたような気がした。
S女とは会社時代からの付き合いだ。当時、自営の翻訳家だった。聖心女子大の英文科出身で、得意の英語を使って翻訳業をやっていた。日立の某社の取説や技術資料の和文英訳が主たる仕事で、私も何度か急ぎの英訳を頼んだことがある。女性にしては、技術英語が上手だった。今ではS女も独居老人だ。
この日の食事は和牛ステーキ御膳というのをトライした。「おはし」は割烹なので、ステーキといってもドカッと出てくるのではなく、一口大に切った上品なもの。お味もグーで、話も弾んだ。
帰路、駅から自転車で帰る道すがら、消防自動車のサイレンに聞き耳を立てたが聞こえてこなかった、マンションも無事で、カレー鍋の火はちゃんと消してあった。なかなかヤルじゃん。大失態も事なきを得たし、私のツキもまだ落ちていないようだ。写真は、2020w4の仏花の百合が開いたもの。何となくグロテスクだが、折角咲いたので紹介させていただく。
2月9日(日)
今日もいい天気が続く。だが、外気温は1~2℃と、低い。だから、「真白き富士の嶺」が大きく見える。
今日は午後からホームページのお助けマン、松田氏が来訪した。不思議なことだが、一人で考えるとどうしても判らなかった難題が松田氏にかかると、手品を見るようにスイスイと解けていく。習熟の差と言ってしまえばそれまでだ。私も、もっとPCの技術の世界に深入りしなければいけないのかもしれないが、正直、そんな余裕はない。
結局、困ったときには、松田氏や新開氏のようなお助けマンに頼る以外にはないのだ。それだけ余分なお金がかかるが、それもやむを得ないことだ。もう今年で満80歳になる。押しも押されもせぬ80翁なのだ。
松田氏の授業が早く終わったので、プロ野球キャンプ情報を観た。我がタイガース、今日は宜野座の「かりゆしスタジアム」に日本ハムを迎えて練習試合がある。昨日の北谷での中日との練習試合は負けていた試合を逆転して1点差で勝利した。今日も先制点は日ハム。いつかは、きっと逆転するはずだと信じて観ていたが、結局、4-8の惨敗。面白くない!
夜は、カレーの残りだ。たくさん作ったのでかなり残っている。多分、明日も明後日もカレーになりそうだ。今週の仏花は、一転、水仙、小菊に雪柳で簡素に仕上げた(右、2020-W6)。
2月8日(土)
朝から快晴。富士山の白い雄姿が遠くに見える。手前の河川敷では、木曜日のブログで紹介した少年野球のグラウンドがほぼ出来上がった。これから春に向かって外野の土に混ぜた芝生の種が芽を出し、緑の芝生が完成すれば、素晴らしいグラウンドになるだろう。右側の写真は、「ゲートボール場」。こんなところにも「長幼の序」があるのか、こちらはかなり前に出来上がっていた。
今日は忙しい日。夕方に高校時代の友人2人を招いて、中村シェフ特製のカレーライスを御馳走することになっている。昨日、じっくり煮込んでおいたので、今日は味付けをすればよい。カレー・パーティの前に前段のイベントがある。自由が丘に新しくできた「あおぞら銀行」の「オアシス・ルーム」で「多田周子のトーク&ライブ」があるのだ。それに、その友人2人を招待することにしている。午前中に、カレーの味付け(ルーの煮込み)を終え、サラダを作り、フルーツを切って盛り付けし、午後から自由が丘に出かけた。駅の南口でS君とY女の来るのを待って「オアシス・ルーム」に出向いた。多田周子東京後援会・専務理事の橋田氏も来ていた。
この会場は、「自由が丘ライオンズクラブ」会長の河津延樹氏の紹介で借りたようだ。今日はその河津氏が司会をやった。予定より30分遅れてショーが始まった。下の写真はその様子。部屋のしつらえが「ルーム」の空間だけで、ステージがないため、歌手と観客の距離が極端に近く、同じレベルのため、とてもやりにくかったと、後に、多田周子さんがこぼしていた。
コンサートが終わってから我が家に急いだが、残念ながら、夕陽は沈んだ後だった。「コンサートのスタートが遅れたのがいけないのよ」とY女がぼやいた。私がカレーを仕上げる間、2人はケンゾーと遊んでいた。出来上がったカレーには、「旨い!」「絶品だわね!」と喜んで食べていた。楽しい一夜であった。
2月6日(木)
今朝も好天だが、外の最低気温は1℃。TVでは、今冬一番の冷え込みだという。体操教室は、今年初めて休むことにした。寒いからという理由よりも、明後日の土曜日に来客があり、絶品のカレーライスを作らなければいけないのに、明日の金曜日にはエレベータが緊急工事で一日停止するという。ということは、買い物は今日のうちに済ませておかなければならない。
午前中に車で買い物に出かけた。最初はオリンピック。牛肉、ルウ、野菜類、ドリンクを買って、帰りに東武ストアに寄る。ここでは、果物類と花を買った。オリンピックの帰りに、下丸子公園の前を通りかかると、紅梅が満開だったので、車を停めてスマホで1枚撮ってみた。
仏花は、春らしいはなやかなものがいいだろうと、ピンクのバラと黄色のカーネーションを主役にしてみた(右、仏花 2020-w5)。オリンピックは、1F,2Fが売り場で、3F,
4F, 屋上が広い駐車場.。普通は3Fに車を停めるため、雨風には無縁だ。が、東武ストアは屋上が駐車場なので、青天井。今日などは気温が低いうえに風が強いため、エレベータまでは少しの距離だが、寒~い!
料理は明日一日かけてやればいいので、午後からはタイガースのキャンプ情報でもゆっくり観ようと楽しみにしていたが、タイガース専属の放送局「スカイA」のチャネルでは卓球の中継を流していた。どうやら、今日は練習はお休みらしい。私の体操のように休みが多いと困るのだが…。
河川敷の野球グラウンドの修復は、今日もたくさんの土を運んで来ていた。今日の土は前回紹介したような黒い土ではなく、白っぽい土だ。少年野球とはいえ、グラウンドは本格的だ。
2月3日(月)
今日は立春。大寒の1月20日以降、寒~い! と感じた日は4~5日しかなかった。北海道や日本海側は、連日、雪の世界らしいが、太平洋側は暖かな好天気が続く。このまま春になってくれると嬉しい。午前中、近くのスーパーを覗いてみたら、売り場は恵方巻きの札があちらこちらに下がっている。去年、売れ残りによる大量廃棄が問題となり、フードロス削減の取り組みが広がるきっかけとなった。だから、今年は予約販売を中心として、当日売りは極力少なくするという前触れだった。それにしては、当日売りの恵方巻きが所狭しと並んでいた。恐らく、当日売りは相当量売れ残って捨てることになるのだろう。日本全国で年間のフードロスは640万トンほどになるという。何とももったいない話だ。私は加齢とともに食が細くなって、昔のように太巻きを1本丸かじりにするといったような芸当はできない。半分にカットしたものを一つだけ買った。
今朝も朝から天気が良く、富士山がきれいに見えたが、頂上のすぐ上に傘雲というのだろうか、大きな雲が、かかっていた。その傘雲も直ぐに取れ、午後は、日本晴れの天気となった。昨年10月の台風がもたらした大雨でで河川敷に水が溢れ出し、多摩川だけで40以上ある少年野球のグラウンドは壊滅的な被害を被った。我が家の前のグラウンドは、大田区/公園緑地課の管轄だろう。目下、本格的な修復が進んでいる。
2月1日(土)
今日、HPのお助けマン、松田さんが見えて、早速、修復に取り掛かった。松田さんの見解は、現状は Windows 7から一旦「10」に引っ越したはずのファイルは完全に「10」から消えている。修復の方法としてオーソドックスなのは、Windows
7を今一度立ち上げて、USBなどの記憶媒体を使ってすべてのファイルを「10」に持ってくることだが、データの容量が莫大で(何せ、14年分のデータなので)もの凄く時間がかかると思う。時間短縮と確実性を担保するためには、自分はサーバーからデータを持ってくることを勧める。サーバーにあるすべてのデータは、元々、PC側にあったもので、ウェブ上にアップロードするためにサーバーに預けてあるもの。それをPC側に(各々のファイルのコピーを)返してもらうだけだ。その方法は、USBのような記憶媒体を使っていたら時間がかかりすぎるので、サーバーにあるファイルを「転送ツール」を使ってPC側にコピーを転送する。
転送ツールは、以前から松田さんがよく使うツールだが、私には少し難しくてこれまでほとんど使ったことがない。それを松田さんに教わりながら、何とかフル・データのコピーををPC側に転送することができた。今度は、PC側のデータに新しい更新原稿を追加して、サーバー側に送り返すことができれば、ファイルの更新は可能だ。松田さんが帰った後、私がこうして少しずつ更新したものが、サーバー側に届けば、松田さんが居なくてもファイルの更新はできることになる。現実に、2月1日のブログを愛読者の皆様方のPCで見ることができれば、道は開けたということになる。後は、習熟の問題だ。ただ、今回の更新をウェブ上で見ることができたとしても、簡便法でやったところがあるので、正式には松田さんの確認を取ってからのことになる。