4年あまり続いた「介護日記」は、妻の死を以て終えることとした。
 本日より、タイトルを新たに「介護日記ーその後」とし、自由日記スタイルで生活の記録を留めようと思う。また、妻がこの世に存在した証をアピールするため、我々夫婦の生き様をテーマに私小説に挑戦することにした。仮題を「白い闇」と名付けたが、これは私の自分史でもある。「白い闇」は毎週月曜日に掲載の連載小説となる。(2008年4月21日)

 「白い闇」(最終章)へ移動

尚、このページのBGMはアクエアリアス氏のアルバムから、この日記のスタートに因んだ「春」のテーマとして、私の好きなベートーベンの6番「田園」の2楽章を借用した。





                  

この日記への御意見・コメントを歓迎します。
                    矢印マークをクリックしてゲストブックに記入して下さい。

                        ここをクリック




2021年(令和3年)





11月28日(日)

 この1週間もかなり慌ただしく過ぎて行った。要点だけを備忘録的に書いてみる。

 22日と23日は、20日の神戸高校・在京メンバーの同窓会「生存確認会」のアルバム編集に没頭して、意外に早く完成した。が、喜んだのも束の間、折角完成したアルバムのファイルが、何故か、サーバーに転送できない。色々とトライするがどれもダメ。折角、アルバムが手元で完成しても、参加者のPCに送られなければ、意味がない。お助けマンのMさんに、SOSのメールを何度も送信するが、ナシのつぶて。

 天気は、往く秋を惜しむかのように朝、夕とも多摩川の向こうに自然の織り成す芸術を演出する。それを見透かしたように、児玉さんから「夕焼け観賞会」の提案が出た。
「24日は、元々”ユーモアの会”が計画されていたから、空いている筈よね。天気も良さそうだから、4時過ぎに伺いま~す」と電話をかけてきた。確かに、24日は”ユーモアスピーチの会”が計画されていた。が、出席者が少ないことから、12月のクリスマス会と合体することにして、24日はお休みにすることにしていた。

 夕焼け鑑賞にやってきて、陽が沈むころにはそろそろ夕食の時間だ。何も出さないわけには行かない。児玉さんの好きなボルシチを作ることにした。夕焼けは、左のようなものだったが、「毎日、こんな景色を眺めてるの?」と羨望を込めた質問を何度も繰り返した。

 料理の方も、私の作ったボルシチを「美味しい!」と言って食べたが、もっと喜んだのは、「ふわたまオムレツ」というレトルト食品だ。中には、フックラと出来るような調味料を溶かしこんだオムレツのベースが入っていて、そこに玉子を2個割り入れてよく混ぜ(袋の両端を持って、横方向に振るだけ)、電子レンジで4分間加熱すると、レストランで出てくるようなフワフワのオムレツが出来上がるのだ。確かに、フワフワに焼きあがったオムレツは見た目も美味しそうだし、食べると美味しい。運転手をしてきた野道君も一緒に美味しい・美味しいと食べていた。

 そして、週末の土曜日には、次女の淳子と四女の康子を招いて、予てから計画していたスキヤキ・パーティをやった。雪谷の「アンデス」まで牛肉(A4相当)半分をを買いに行き、もう半分はスーパー「OK」で、A5の牛肉を調達した。少し寒くなってくると、やはりスキヤキは美味しい。淳子も康子も喜んで食べていた。

 そして、今日の日曜日は朝からマンションの防災訓練。自治会主催だが、私は自治会の役員もしているので、サボれない。10時の館内放送を合図に外に出て、寒い中、訓練(Emergency drill)があった。

 右の仏花(2021-w48)は、スプレーカーネーション、デルフィニウム、カスミソウの取り合わせ。何となく、可憐な感じがする。


11月20日(土)

 昨日の夕方は素晴らしい夕焼けだった。西の空全体と川面までが赤色に染まったような、とても規模の大きな夕焼けだった。夕焼けの翌日は天気が良いと言うが、確かに、今日は朝から日本晴れ。

 昼からは、ビッグイベントがある。1か月ほど前から準備に入っていた、神戸高校・在京メンバーの同窓会、「生存確認会」である。昼に永田町「上海大飯店」に15人が集まった。コロナ禍の猛威が大体収まり、緊急事態宣言も解除され、一時は5,000人を超えていた、東京都の1日当たりの感染者数も30人以下と、収束の様相を見せている。昔仲間が集まって、「よく、生き延びたな」と互いの無事を喜び合う会合だ。

 同窓会の幹事は私一人だから、何から何まで準備は私の仕事だ。メンバーの中から卒業後の物故者の詳細を知りたいというリクエストがあったので、2冊の同窓会名簿を参考にして「物故者リスト」を作成した(→こちら)。会では、この物故者の中から、此処10年以内に亡くなった在京会員8人の御冥福を願って黙祷を捧げる積りだったが、集まったメンバーの中から
「もう一人居るよ!」との声が上がった。

 訊いてみると、中畔敏太(ナカグロ・トシタ)君が今年の1月、心筋梗塞で亡くなったという。高校時代は野球部で4番でサードを守る元気印だった。最近は腰を痛めて、杖を突いたり、車椅子を押してもらったりしていて、同窓会には長い間欠席していた。急遽、8人に中畔君を加えて、9人の仲間の御冥福を祈って黙祷を捧げた。

 その後、皆さんに一人ずつ近況を語ってもらって、最後に、本日が誕生日という人が2人居たので、皆で Happy Birthday to you.を歌い、全員で写真を撮って解散した。コロナ禍のため、この2年間、同窓会はなかった。3年振りの再会に皆さん大いに盛り上がり、なかなかの盛会だった。

 宿題の一つが無事に成功裏に終わったのでホッとした。




11月17日(水)

 今日は、認知症気味のポカも手伝って、病院巡りの1日となった。昭和大学病院の呼吸器内科に10:00 のアポイントがある。先日の新横浜の「ゆうあいクリニック」で受けたPET検査の結果について楠本医師から説明を聴くのだ。この時間、駐車場が混みあうので1時間前に出かけた。しかし、案じたように病院本館の駐車場は満車でクローズドになっていた。仕方ない、東病棟の地下駐車場に停めた。此処からだと中原街道を渡って本館に向かうので、途中2度ほど休憩しなければ息が上がってしまう。

 11時前に、私の順番が表示されて、診察室に入った。楠本医師の机には、シャウカステン(ディスプレイ機器)にPET写真がセットされいた。右肺のクローズアップで、CT検査の度に問題になる「新しいガン組織」と疑われる部分が赤く染まっている。この写真のコピーを貰えなかったので、従来の写真を右に示す。黄色い矢印の部分だ。

 「問題の箇所が犯人だったというわけですか」と、先ず、私から質問してみる。
 「そうなんですよ。他には赤色に染まった箇所はありませんでした」と、楠本医師。

 楠本医師の説明の概略は下のようなものだった。
・マーカーの CEA値を時系列的に見ると下のようになる(10月18日のブログから)
      基準上限値       2016/5/25    2016/9/2   2017/10/6   2021/01/19   2021/4/19   2021/06/21   2021/10/15
       5.0 ng/ml        1.3       1.6      1.7        11.4       16.5      20.2       23.4
・2017年までは、基準内の安定した値を示しているので、手術した左肺の撤去した跡に再発したとは考えられない。
・2021年から急速に大きくなっているので、この頃に他の箇所に新しいガンが発生したと見るべきだろう。
・そして、その新しいガンはその後も着実に成長している。
・今回のPET検査で、その新しい箇所は、右肺の問題の箇所であることが明らかにされた。

 そこで、今後の治療方法だが、2つの方法が考えられる。一つは抗がん剤治療、もう一つは放射線治療だ。抗がん剤治療は、肺以外の身体全体に副反応をもたらすのでリコメンドできない。放射線治療は、治療効果はあるが、問題の箇所だけでなく、右肺全体に放射線をかけるので、肺機能の低下は避けられない。どうするか、御自身でよく考えてほしい。

 そう言われても、即答できるような状況にはない。取り敢えずは、次回の検診(12月15日)までに考えておきます、と告げて診察室を後にした。

 次の病院は林歯科医だが、アポイントは午後3時だ。取り敢えずは家に帰って昼食をとった。家にいる時の昼食は、前夜に作った朝食のサラダの残りとパンで済ませる。パンを食べながら、手帳の本日の予定を眺めていて、大変なことを思い出した。そうだ、今日は、楠本先生の診察の他、検体検査(採血)が2件あったのだ! それがあるから家を早く出たはずだ。すっかり忘れていた。検体検査は特に予約は要らない。担当医師の方から連絡が入っていれば、直ぐに採血してくれる。

 というわけで、昼食もそこそこに、再び、車を飛ばして昭和大学病院へ。今度は、本館の駐車場は空いていたので直ぐに「検体検査室」に入った。受付機に診察券を入れると、本来なら「受付番号」の紙がでるのだが、今回は出てきた紙に「不明点があります。受付までお越しください」とある。何だろうと、受付に行ってみると、
「何科の採血でしょうか?こちらには採血の指示は届いてないのですが…」
「泌尿器と内分泌だと思いますが…」前立腺がんと橋本病のマーカーを調べるための採血だろうと判断した。
「それでしたら、来年の1月17日に入っていますが…」と言う。
「ここに、今日貰った受付表があります」と、朝来た時に受付機から出てきた受付表を出して見せた。
「これでは、呼吸器内科の診察だけで、検体検査は入っていませんが…」と言う。
確かに、見てみると今日の予定は楠本先生の診察だけしか書かれていない。ガチョーン! どうやら、私が手帳にメモを取るとき、1月17日の予定を誤って11月17日の欄にメモしてしまったらしい。
「ボクの間違いのようです。スミマセンでした」と、引き下がった。
「アホ、バカ、マヌケ!このボケ野郎!」内心で自分を罵りながら駐車場に戻った。

 昭和大学病院の方が早く終わった(というより、何もなかった)から、下丸子に戻ったのは、2時過ぎ。歯医者の予約・3時には早い。何時も行きつけのスーパー「東武ストア」に車を停めて店内を覗いてみた。私は肺の弱者で歩くのは大の苦手だが、買い物カートを押しながら歩くのはいっこう苦にならない。適当に買い物をしながら時間を潰した。

 3時前に歯医者さんに到着。中に入ると、先客が一人いた。暫く待って、診察室に入った。今日は、先週金曜日に診て貰った折れた下の前歯の治療1日目だ。前回、根の治療と言っていたから、今日は麻酔を打たれるかもしれないと覚悟をしていたが、案の定、
「少しだけピリッとしますから…」と、下の歯茎に麻酔の注射を打たれた。注射は何処に打たれるのも嫌だが、とりわけ歯茎は痛い。「ピリッ!」というより「ガタン!」に近い衝撃だったが、今日、昭和大学病院で大ポカをやったことの罰を受けるのだと自分に言い聞かせて我慢した。

 診察が終わって、帰ろうと思って外に出てみたら、医院の前の道に一台の小型車が停まっていた。私の車は左車線から左の玄関に頭から突っ込んで停めてある。これを出すには、バックで一旦道路まで出る必要があるが、そこには小型車が停まっている。どうしようかと思案していたら、医院の看護師さんが出てきた。恐らく、次の患者さんが車で来たもの、先客の車が玄関に停めてある。医院に相談に行ったのだろう。で、看護師(名前は知らない)が出てきて、駐車していた車を下げるのと、私の車を路上に戻すのを手伝ってくれた。漸く、路上に戻った車は我が家まで5分も経たぬ内に到着。所定の駐車位置に停まると、1日の仕事を終えた。

 左は、仏花2021-w47は、ごく平凡だが、和菊、スプレーカーネーション、小菊だ。色で言えば、赤、白、黄。国旗で言えば、確か、南オセチアの国旗の配色だったと記憶する。花瓶に挿してみると余りパッとしなかった。



11月16日(火)

 ケンゾーが、漸く、新しいバード・バスに入るようになった。この水浴び浴槽は、本年9月に新しい鳥篭と一緒にケンゾーに提供された。が、当初は、怖がって中に入ることはなかった。入浴は、専ら、水飲みカップの中に、無理矢理、身体を押し込んでパチャパチャやっていた。が、小さな水のみカップでは、身体をカップに沈めてしまうと狭すぎて羽をパチャパチャ出来ない。長い間、不便をかこちながらも新しいバードバスは敬遠されていた。

 それが、3日ほど前から新しい浴槽に入るようになったようだ。しかし、バードバスを使っているところを見ようとすると、直ぐに出てしまう。「淑女が入浴しているのを見るのは、マナー違反よ!」とでも言っているのかもしれない。が、バードバスの壁の部分が水滴だらけになっているから(左の写真)、中でパチャパチャやったことは間違いない。バードバスの内部についた水しぶきの水滴を拡大すると右の写真のようになる。これだけの水が周囲に飛び散ったなら、辺り一面ビショビショになるだろう。
 が、バードバスの中ならいくらパチャパチャやっても、しぶきが飛び散ることはない。しかも、ケンゾーも水の中で思う存分羽ばたくことができるだろう。怖い穴倉の中に勇気をもって飛び込んだお陰でケンゾーも格好の穴場の入浴場を見つけた。ウィン・ウィンの関係である。

 夕方、太陽が西に傾く頃、ケンゾーの勇気に対するご褒美の意味もあって暫く放鳥してやった。ケンゾーも夕陽を浴びて、心なしか誇らしげだ。 
                                           





11月15日(月)

 上海の Ki氏が一時帰国してきたので、横浜の Ka氏と3人で昼食会をもった。場所は品川のプリンスホテルの38F「味海道五十三次」だ。この3人はミシガン駐在時代の仲間で、今も毎月、横浜ー上海ー東京をオンラインで結び、リモート懇親会をもっている。今回、コロナ禍の中、Ki氏が一時帰国したのは、日本の自動車免許証を更新するためと、Ki氏自身が日本の病院で手術を受けた心臓疾患の定期健診、それに高齢の御母堂のお見舞いである。コロナ禍はかなり下火になったとはいえ、入国の煩雑さは変わっておらず、今回も成田のホテルに2週間の足止めを食ったとのこと。

 自動車免許の件は、戸塚で高齢者講習を受け(東京都内はどこもフル・ブックで戸塚の教習所しか空きがなかったと)、目的の一つは達成済みで新しい日本の免許証も見せてくれた。それを見ると、有効期間が5年とある。我々、日本の居住者が免許証を更新すると新しい免許証の有効期間は3年なのに、海外居住者は優遇されるようだ。

 Ka氏の方は、後期高齢者になったはずだが、毎朝ウォーキングをやっているとのことで元気そうだ。Ki氏も若いとはいえ、70代だ。会話の話題の多くは病気の話だ。また、アメリカ時代を共に過ごした同僚たちの近況も楽しい話題である。色んな話に花が咲いたが、此処のレストランはホテルだからか、4人掛けのテーブルの中央に大きな透明アクリル板の仕切りが置いてある。お蔭で、テーブルの向こうとこちらの会話が聴きとりにくい。私の難聴の所為もあるが、半分近くは聞き取れなかった。これなら、上海ー横浜ー東京のリモート懇親の方がよほど良く聞こえる。

 帰り際に、思い出してカメラを出して1枚スナップを撮った。これも自撮り装置のないカメラで私が右手を伸ばして撮ったマニュアル撮影。それにしては良く撮れているではないか。





11月12日(金)

 2~3日、天気の悪い日が続いたが、前線が北の方に離れて行ったため、昨日辺りから素晴らしい秋晴れの天気になった。昨日の朝は、スッカリ雪化粧をした霊峰・富士が雄大な姿を見せた(左の写真)。

 が、夕方が近づくと、多摩川ハイムの庭が、葉の色を黄色や茶色に変えた樹々が、晩秋の太陽を受けて輝き、秋の深まりを演出してくれる(右の写真)。

 昨日は体操教室。日頃、近くのスーパーに行くのも車で、全く運動らしきことをしていないので、集中的に身体を動かすともの凄くキツイ。ワンクールが終わると這う這うの体でソファに倒れ込んでしまう。私の他はインストラクターの茂ちゃんを除いては皆さん熟女だが、最長老は今年92歳のN女。私より背中は曲がっているが、至って元気。ただ、隣町から徒歩30分近い道のりを歩いてくるので、最近は、帰りだけは家まで車で送ってあげる。昨日も体操教室から帰るときに、N女と私は車に乗って、出発するところに、他の熟女たちが見送ってくれた。2人合わせると、173歳のカップルが窓越しに手を振るのだが、N女は恥ずかしいという。

 N女は、時々、信州そばや梅干しのお土産をくれるのだが、昨日は「五彩いなり」と書かれた海老や野菜などが入った5種類の稲荷ずしセットを呉れた。夜には、それを食べながらCSシリーズの巨人 vs. ヤクルト戦の中継を見た。手帳にはこの日の予定欄に「18:00、神宮・T&Y」とのメモが書いてある。つまり、タイガースがCSに残ってヤクルトと対戦するものと予想して書いたものだ。まさか、この段階で勝率5割を切ったジャイアンツが残っているとは思わなかった。が、タイガースは、6日、7日とそのジャイアンツに連敗して、姿を消したのだ。そのジャイアンツが、今度は、11日、12日と1点も取れずに連敗した。これで、もう1試合をヤクルトが勝つか引き分けると、巨人もCSシリーズのから姿を消すことになる。

 今日は、朝から歯医者さん。月に一度の定期健診の他に、先月26日に取れた下の前歯を修理してもらう必要がある。取れた歯をプラスチックのケースに入れて持参した。
「これは、御自分の歯ですね。根元から折れていますね。以前、折れた下の歯の修理でやったように、根の始末をして、台をつけて差し歯をしましょう」
と言いながら、X線室で折れたところの歯茎の上からX線写真を撮った。そして、来週の水曜日に根の手入れと台座の装着をすることになった。

 夜は、昨夜の続きで巨人ーヤクルトの第3戦を観た。昨日、一昨日と1点も取れずに敗れた巨人だが、今日は2回表に偶発事態で流れが巨人に来た。一死後、大城の当たりが先発投手・原の右手を直撃、原はその場に倒れ込んだ。結局、原はベンチに下がり、急遽、金久保が救援した。3回表、ウォームアップが十分でない金久保を攻め、吉川の四球と亀井のヒットで、一死1‐3塁の好機をつくり、キャプテンの坂本がセンターに犠飛を放ち、1‐0と先制した。その後、両軍投手の好投で、両軍とも得点を上げることが出来なかった。が、ヤクルトは6回裏、救援のデラロサを攻め、一死後、オスナのヒットと川端、塩見の連続四球で二死満塁のチャンスを作り、青木のタイムリーヒットで2点を取って逆転した。が、7回の表、巨人は救援の清水を攻め、ウィラーのヒットと大城の四球などで二死2‐3塁のチャンスに広岡の内野安打で1点を取り、2-2の同点とした。が、9回表はクローザーのマクガフに三者凡退に退けられて、結局、2‐2の同点。引き分けなら上位チームが勝ちとなるCSの特別ルールにより、9回表でゲームは終了。ヤクルトの勝利で、巨人は3連敗で敗退した。

 パ・リーグはオリックスがロッテを破ったので、日本シリーズは、昨年度下位チーム同士が日本一を賭けて戦うという下剋上の典型で、前代未聞の対戦となった。

 左は仏花(2021-w46)は、左がブルースカイ、真ん中のネギ坊主がアリウム、右がスプレーマム。後ろに生けた葉物の枝と赤いススキの穂のような草の名前は知らない。









11月7日(日)

今朝、起きてみると、ケンゾーが巣の中に卵を産んでいた。前回、NO.52の卵を巣に入れたままにしておいて、下に落とされてしまったので、今回は直ぐに取り出した。前回の割れてしまったのがNO.52なので、今回のはNO.53 となる。先月お皿に残っている、NO.51、49、48に並べて写真を撮った(NO.50はケンゾーが殆ど食べていた)。一番左が今回のNO.53だ。

  ケンゾーが卵を産むと、その日はあまりいいことが起こらない(我が家のジンクス)。先月20日には、タイガースがヤクルトとの最終戦に引き分けて、優勝への道が大きく暗転してしまった。そして、26日には、阪神が今年の最終戦で中日に敗れて、タイガースの2位が確定してしまったのだ。どちらの日にも、淳子がTVの前で声援を送っていた。そして、今日はセ・リーグの代表を決めるCSシリーズの第2戦。昨日の巨人との第1戦は阪神が知らぬ間に立ち直った巨人のエース、菅野に全く手が出ず、0-4で敗退した。もし、今日も負けると、日本シリーズに進出する資格を失ってしまう。タイガースは今年のペナントレースにも日本シリーズにも出場できずに、文字通り、今年のプロ野球の舞台から消えてしまうのだ。当然、トラキチ娘の淳子がTVの前で声援を送っている。

 しかし、ケンゾーが卵を産んで予想したように、タイガースは巨人の7安打を上回る11安打を放ちながら、チャンスにヒットが出ず、2-4で負けてしまった。パ・リーグの覇者と戦い日本一を決めるファイナル・ステージに進むことなく舞台から姿を消してしまったのだ。淳子曰く。「覚悟はしていたものの残念! オヤジのトラキチも同感である。

 下は、仏花(2021-w45)の”before-after”だ。左は、生けた時点の状態。主役のグラジオラスは未だツボミだ。もう一つの主役黄色のバラは全盛期。脇役のスプレーカーネーションも丁度いいタイミング。が、3~4日を過ぎた右側では、グラジオラスは2輪が開花したが、バラは枯れ始め、スプレーカーネーションもイマイチ元気なし。全部が同時に "in full bloom"というのは難しい。






11月2日(火)

 去る10月18日、昭和大学病院に行ったとき、肺がん手術後の定期診断でガンのマーカー CEAが 23.4と、かなり高いことからその原因を調べるために PET検査を受けることとなり、PET検査設備の完備された横浜の「ゆうあいクリニック」で検査を受けることになっていた。

 その予約が今日、11月2日、10:10となっていた。今朝、検査の日は水以外何も口に入れるなとのことで、昨夜8時ごろに夕食を採ってから何も食べていない。空腹を感じながら車で家を出た。昨日ナビで事前チェックしたところ、一般道路を通って所要時間38分とあったが、余裕を見て9時前に家を出た。 が、途中、渋滞やナビの不適切指示(or 私の理解不足?)などがあって、到着したのは9時50分、丁度良いタイミングだ。駐車場にはまだ空きがたくさんあり、そのひとつに車を停めて、1枚写真を撮る(左の写真)。

 正面玄関を入ると、体温測定と予約表のチェックがあり、待合室に通された。暫く待つと、名前が呼ばれ、最初に医師による問診があった。その後、薬剤の注射があり、FDGというブドウ糖の入った薬剤を静脈注射する。ガン細胞はブドウ糖を食べるので、血液が全身を巡回する間、ガン細胞は血液中のブドウ糖を食べる。FDGには赤の着色料が含まれていて、薬剤が何回か体内を巡回してから断層写真を撮る。その結果、赤色の塊があると、そこにガン細胞があるということだ。この設備はCTや MRIの設備と同じよう形状だ(右)。薬剤注入後は、それが体内を循環するまで、約1時間ほど安静室で安静にする。

 その後、着衣を病院支給のものに着替えて、機械のある検査室に入る。この機械のトンネルに入る前に、「トイレに行って下さい」と言われた。
「病院に着いた時、トイレに行ったので、今は何も出ません」
「膀胱を空にしなければいけないので、少しだけでも出してください。それまで撮影を待ちます」
と仰言る。
 
 この年になると、出るのを我慢するよりも出ないのを出す方が難しい。シャワートイレに座って頑張ってみる。と、ほんの申し訳ほどの量が出た。
「申し訳ほどでました」と、検査室に帰ると、何とか撮影が始まった。20分近くかかったように思う。トンネルの中に寝て、目を閉じている間に、身体の各所を撮影して検査は終わった。

 5年前、此処でPET検査を受けたときは10万円ほどの検査料を取られたが、どうやら、今は健保が適用になるらしい。保険証を提出すると、1万円余りの請求であった。ラッキー! 帰りはナビの言う通り、国道1号線を通って帰ってきたら30分余りで近くまで来た。とに角、空腹なので、途中、「華屋与兵衛」に入って”うな重”を食べた。とっても美味しかった。

 1時半ごろ帰宅。そのままベッドに倒れ込んだら、直ぐに、眠ってしまった。目が開いたのが5時過ぎ。夜に淳子が来ることになっているが、食事を作る時間がない。申し訳ないが、あり合わせのレトルト食品で我慢してもらった。








過去のブログには下記よりアクセスできます。


2021年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月




2020年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月



2019年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月



2018年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月


2017年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月


2016年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月


2015年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
   


2014年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月


2013年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月


2012年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

      

2011年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月




2010年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月




2009年
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月



2008年
4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

 


これまでの「介護日記」を別ページに掲載します。下記をクリックして下さい。

2008年


1月分

2月分

3月分

4月分



2007年1月~12月分の日記を別ページに掲載します。下記をクリックして下さい。

2007年


1月分

2月分

3月分

4月分

5月分

6月分




7月分

8月分

9月分

10月

11月

12月



2006年1月~12月分の日記を別ページに掲載します。下記をクリックして下さい。

2006年


1月分

2月分

3月分

4月分

5月分

6月分




7月分

8月分

9月分

10月

11月

12月



2005年1月~12月分を別頁にまとめました。下記をクリック願います。

2005年


1月分

2月分

3月分

4月分

5月分

6月分

7月分

8月分

9月分

10月

11月

12月




2004年1月~12月分の日記を別ページにまとめました。下記をクリックして下さい。

2004年


1月分

2月分

3月分

4月分

5月分

6月分

7月分

8月分

9月分

10月

11月

12月

PlantkaiNo.17
taisoh4
taisoh5
fuji-seen down.png

taisoh6
taisoh7
こどもの国訪問記

taisoh2

Taisoh1

PlantOBtop

Atomic bomb picture at Tokuyama



トップページに戻る