4年あまり続いた「介護日記」は、妻の死を以て終えることとした。
 本日より、タイトルを新たに「介護日記ーその後」とし、自由日記スタイルで生活の記録を留めようと思う。また、妻がこの世に存在した証をアピールするため、我々夫婦の生き様をテーマに私小説に挑戦することにした。仮題を「白い闇」と名付けたが、これは私の自分史でもある。「白い闇」は毎週月曜日に掲載の連載小説となる。(2008年4月21日)

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尚、このページのBGMはアクエアリアス氏のアルバムから、この日記のスタートに因んだ「春」のテーマとして、私の好きなベートーベンの6番「田園」の2楽章を借用した。



                  
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2019年(令和元年)






【お知らせ】
 先月末、このホームページの手元ファイルに原因不明のトラブルが発生、暫く、この日記を更新することが出来ませんでした。私の力ではどうすることも出来ず、こういうときのお助けマン・M氏に修復をお願いすべく、何度かコンタクトを試みましたが連絡がつきませんでした。途方に暮れて、自分で修復を試みるも、その方法も分からず、ゴソゴソ触っていたら、一瞬、画面が消えたかと思うと、新しく出てきた画面は従来の正常なモノに変わっていました。

 昭和30年代に普及した白黒の真空管テレビは、電圧の変化などにより画面が乱れることがよくありました。そんなとき、テレビのケーシングを適度な強さで叩くと治ることがありましたが、あの現象に似ていました。IT機器にも自然治癒力や自己修復機能が備わっているのかもしれません。何れにしても、偶然に近い幸運に恵まれて、ブログを再開することができたことに感謝、感謝です。

 
7月17日(水)

 ドイツ時代の友人で、今も日本とドイツを行き来してドイツ会社のエージェントのような仕事をしている、元・西華産業のTさんからのドイツ便りによると、今夏、西欧では猛暑とのこと。この3週間で最高温度40℃を超える日が3度もあったという。Tさんは、デュッセルドルフの郊外、私たち家族の住んでいた「オストラート」というところに自分の家を今も所有している。夏の間はドイツ人の奥さんと一緒に酷暑の日本を離れ、避暑を兼ねてドイツで暮らすのだが、今年は日本のほうが涼しいと思う、と書いている。

 確かに、今夏、関東地方の”梅雨寒”は長い。毎日、厚い雲が空を覆い滅多に陽が差すことが無い。お蔭で野菜の発育も悪く、スーパーの店頭のトマトやキウリが値上がり傾向にある。ベランダの「枯れるに任せている」アロエの花は、日照時間とは関係なくどんどん花弁を落としていき、今は頂上に数えるほどの花を残してすっかり枯れ落ちた。1週間前の予想では、もう丸坊主になるはずだが、最後の頑張りを見せている。何だか、オー・ヘンリーの「最後の一葉」を思い出すが、この花は絵ではない。早晩、丸坊主になる運命だ。

 今日は、左下の差し歯が出来る日だ。先週、左下の差し歯が抜けたことを書いたが、林歯科では、今日、新しい差し歯が完成することになっている。上は総入れ歯があるが、下の奥歯がなくては噛めない。この1週間、食事を食べるときには寂しい思いをした。こんなとき、助かるのが「冷やし素麺」だ。あれだと噛む必要がない。冷たく冷やした素麺をタレに浸して呑み込む。喉元を通る時の感触が素麺の旨味だ。だから、素麺は腰のある方が旨い。

 腰のある素麺といえば「揖保乃糸」だ。これは、多田周子さんに教えられた。周子さんは兵庫県たつの市の出身。町の真ん中を揖保川が流れている。だから、竜野で作る素麺に「揖保乃糸」という名前がついた。これは、登録商標にもなっている。私は関西出身だから、揖保乃糸という素麺は子供の頃から知っていた。が、それの産地が竜野だとは知らなかった。「イボのイト」という音読みだけが頭にあって、変な名前だと長い間思っていた。

 この夏、亡き妻の末弟、枢(カナメ)君からお中元に「半田手延素麺」というのを送ってきた。 「モンドセレクション 2014年金賞」というタイトルまでついている。半田というから愛知県の産かと思ったら、「徳島県」とある。徳島線に「阿波半田」という町があるらしい。そろそろ、揖保乃糸の在庫も切れる。

 今日、林先生に下の差し歯を新しくしてもらったので、近々、冷やし素麺の食べ較べをしてみようと思う。




7月13日(土)

 なかなか面白いイベントに出かけた:「如水会 夏のファミリーイベント」。如水会(一橋大学同窓会)が、会員向けに行うクローズド・イベント。如水会館のスターホールでのディナー・ショーだ。Y女を誘った。ディナーの方は、東京會舘のビュッフェ料理。洋風、和風の料理を取り混ぜた御馳走がコーナーに置かれたテーブルに並ぶ。観客のテーブルはステージを中心に10人掛けテーブルが12脚が置かれている。本来なら120名が着席できるが、ステージが見やすいようにステージ側には椅子を置かない配置となっているため、来客数は80名だった(下図参照)。客は、年配者のグループ、御夫妻、若い人たちの子供連れなど。

 私たちの席はAテーブルにあった。恐らく、年配者中心に配置を決めたのだろう。同じテーブルの私の隣には丹治清吉さんという大先輩夫妻が座られた。S28年の卒業というから、私の10歳上、現在88歳だ。宇部興産で言えば、故・桜井淳一郎さんの同期だ。それでも、奥様のためにせっせと料理を運んでおられた。私の方は、Y女が2人分を運んできてくれるので上げ膳据え膳を決め込んだ。料理はバラエティに富んでいて、どれも美味しかった。

          


 やがて、ステージが照明に照らされ、ショーが始まる。本日のショーは「カジキタ・ドリーム」。カジキタとは、「弥次喜多」を捩ったネーミング。宝塚歌劇団・元花組の舵一晴(67期生))と元雪組の北山里奈(73期生)の2人が主催する小グループで、歌と踊りを披露する(→こちら)。

 本日の出し物は、先ず、会場の子供さん向けの童謡、「海」、「われは海の子」、「夏の思い出」、「茶摘み」など6曲。それが終わると、今度は年配者向けの懐かしの歌、「銀座カンカン娘」など古い歌を中心に観客にもマイクを回しながら集団カラオケのように歌う。歌は、カジ・キタが歌うが、その間、他はステージのダンサー。衣装を取っ替え引っ替え、宝塚のレビュースタイルのダンスを踊る。最後は宝塚歌劇団の十八番「すみれの花咲く頃」で占めた。ステージの写真を何枚か紹介する。美味しい料理と迫力ある舞台。@6,000円は、我々卒業生の同窓会費から援助があるのだろうが、コスパとしては素晴らしい。

 

         

 



7月10日(水)

 梅雨寒というのだろうか、このところ雨は殆ど降らないのだが、毎日、どんよりした日が続く。気温も25℃以上には上がらない。湿気が高いので清々しさはない。3日前に紹介した”枯れるに任せている”アロエだが、その花は下の方の花弁は全部落ちて、花の頂上部の少しだけが残っている(右の写真)。後1週間もすれば、丸坊主になってしまうだろう。

 先月末、大学の同窓会でカメラマンの役目もあった私のカメラにメモリーディスクが入っていなくて、一時、真っ青になった。が、幹事の写真班の2人がチャンと撮影してくれていて、今日、アルバムの編集を終えることができた。手元に送られてきたのは、”Google Photo”。写真を添付しなくても、Googleに保存されたファイルにアクセスすると大量の写真が見られる。クラウドの応用だが、一種のインスタグラムだ。おまけに、動画まで入っていて、私のPCではデータを取り込めないので、You Tubeに投稿してもらった。お蔭で、今までにない動きのあるアルバムが完成した。→ こちら

 夕方から多田周子のライブに出かけた。このところ、姫路、奄美、上海・・・と地方や海外にも出かけていて、東京には殆ど居なかったようだ。久しぶりに赤坂のライブハウス「November 11th」に帰ってきた。このライブハウスは40人ほどが入れる部屋だが、50人近くが入って超満員。写真を撮るのにとても苦労した。歌以外にも、色々工夫が凝らされていて、奄美からのお土産として「味噌ピーナッツ」(左)がテーブルに置いてあった。元々、房総で発祥、江戸で普及したと言われるが、奄美の郷土料理でもある。関西人の私はこれまで食したことはなく、全く初めて口に入れたが、ピーナッツの香ばしさと味噌のネットリ感が微妙にマッチして美味しかった。

 もう一つ、これも奄美の郷土料理と言われる「油ソーメン」(右)は、どうも馴染めない。これは、サービスではなく、1,300円で注文するのだが、私はパス。同行のO女が注文したので、少しだけシェアしてもらい食べてみた。周子さんがこのライブハウスのシェフにレシピを渡して、特別に料理してもらったとのことだが、あまり美味しいとは思えない。ソーメンは、矢張り、冷たくして、タレで戴くのが一番だ。

 今夜のライブでは、多田周子さんは抒情歌、カバー曲、オリジナルを併せて20曲近く歌った。その中では、矢張り、奄美をテーマに歌ったオリジナル曲、「なつかしゃや」が一番良かったように思う。抒情歌では、季節的には未だ少し早いが「夏の思い出」が多田周子の“高音域が美しいソプラノ”にはピッタリの曲、カバー曲では、「港が見える丘」をとても懐かしく聴いたが、一部、私の知っている歌詞と違っていたので、周子さんにメールで確認している。

 以下に今日の写真を5枚ほど掲載するが、多田周子の後ろでバイオリンを弾いているのは、ツル・ノリヒロ。なかなかユニークなバイオリニストだ。演奏テクニックは抜群。ライブ演奏の You Tubeがあるから紹介したい(→ こちら)。

             

   

            



7月9日(火)

 昨日、今日と病院通いが続く。昨日の月曜日、朝食を食べていたら、バナナに付いて、左の下の差し歯が抜けた。この差し歯は片岡歯科医院で作ったもので、1年ほど前にも一度抜けたことがある。その時は、林先生が「しっかりした差し歯なのでこのまま入れておきます。今度とれたら新しいのを作りましょう」と言って、元の位置に差してくれたものだ。

 昨日は、昭和大学病院にアポイントがあって、歯科医の診察を受ける時間がなく、取り敢えず、抜けた歯を持参し、状況だけは説明しておいた。で、次の昭和大学病院/呼吸器内科に急いだ。この日は楠本先生に、息切れが治らないこと、加えて、最近、血圧が相当に上がっていたことなどを説明した。それでは、次回、心臓の検査をやりましょうということになり、心電図、エコーなどの予約を入れた。

 そして、今日は朝早く歯医者に行き、取れた差し歯を新しく作ることにした。2本が一体となったセラミックの差し歯は、片岡さんでは、確か、4万円ほど払ったと記憶しているが、林先生の方では、最近できたセラミックの普及バージョンで「ハイブリッド」という材質で作ることとした。これだと、保険でカバーすることができるので、3,000円ほどで出来るという。早速、歯型を取ってもらった。新しい歯は来週の水曜日に出来るという。

 歯医者を出て、昭和大学病院に急いだ。今日は泌尿器科。前立腺がんの定期診断だ。5日の日に採血してもらった試験結果をベースに話を聞いた。PSAは0.041で問題ないとのこと。どういうわけか、いつもメチャ待たされるM医師の診察が今日は1時間もかからずに終わった。3ヶ月に一度のリュープリンの注射も併せて駐車料は400円。何時もは800円なので、1時間も早く終わったことになる。

【訃報】 末山 哲英 さん。 元・宇部興産・常務

 予てより療養されていたが、7月4日に御逝去。97歳。葬儀等は身内で済ませたいう(末永さんからの情報)。末山さんには、プラント事業部時代にお世話になった。とにかく、仕事熱心な方で、特に専門分野の石炭ガス化アンモニアの話になると生き生きとした表情で話が続いた。晩年、膝を痛めて杖を離せなくなった。それでも、何度か、ガス化アンモニアの商談で中国に出張された。ご冥福をお祈りする。



7月7日(日)

 今日は七夕。だが、七夕ネタは7月に入ったばかりの時に書いてしまった。従って、その時に紹介した、我が家のベランダにある”枯れるに任せた”アロエの花について少し触れておきたい。このアロエについては、6月11日の欄で紹介したが、次女の淳子がヘルパー時代(ということは3年~4年前だろうか)にお客様から貰ってきた。
「お父さんにあげる。育ててくれてもいいし、捨ててもいいよ」
 淳子の手のひらには、花の苗を入れる黒いビニール袋の中で、辛うじてアロエと分かる植物が、緑色で肉厚の小さな鋸葉を見せていた。

 取り敢えず、小さな植木鉢に植え替えて水をやり、ベランダの台の上に放置した。その後は、ほとんど手入れらしい手入れもしなかったが、大きくなるに連れて2~3度大きな鉢に植え替えた。どんどん大きくなり、一時は、巨大なアロエの枝が鉢から外に向かってせり出して、その重量に耐えかねて植木鉢が傾いていた。

 昨年の秋、台風もどきの大風に煽られて、台の上からコンクリートの床に落下、植木鉢は割れてしまった(左写真)。少し大きめの鉢があったので、土と一体になってしまった根っこをストンとその鉢に落とし込み、後は枯れるに任せることにした。

 ところが、6月11日の日記にあるように、たくさんある株の一つから、突然、花の芽のような茎が伸びてきたのだ(6月11日の写真参照)。 そして、遂に、7月1日の写真に見るような「全開」に近い感じにまでなった。

 そして、今日の写真では、下の方の花は枯れて落下し始めた。今からは、上の方の蕾に近い花が開花を始め、下の方の花はどんどん落ちていくことになるのだろう。

 だが、私のイメージの中では、アロエの花というものは砂地に育った大きな灌木のようなアロエの木から花が出てくるものだ。2015年の正月、次女と2人で行った房総半島最南端、房総白浜の海岸で見たアロエの花が頭の中のイメージとして固定してしまっている。その姿は、下の写真のアロエの花だ。この房総白浜のアロエと我が家のベランダのアロエのあまりにも異なった姿は、それが同じアロエの花だと認めるには相当な抵抗がある。


             
 

7月5日(金)

 昼前、昭和大学病院の泌尿器科で採血があった。来週の火曜日にある診察前に血液の分析を済ませておくためだ。採血には殆ど時間がかからない。到着後30分以内に終わる。それを見越して、UBE本社での「とぴぐろ」の取材を13:00に予定しておいた。その足で、本社へ。昭和大学病院からだと30分ほどで着く。

 本日のインタビューは2名。化学のI氏と法務のW氏だ。I氏はデュッセルドルフ駐在から帰国したばかりで、最近のドイツ事情などを聞いていると懐かしかった。もうひとりのW氏はアメリカでの弁護士事務所での研修経験の話。こちらは、アメリカでのビザの仕組みを知らないとなかなか理解し難い話だった。それよりもタクシーに置き忘れたスマホがウーバーへの電話1本で手元に戻ってきたという話。こちらの方が、目下、日本でも普及途上にある「配車アプリ」の利便さが強調されて面白いかもしれない。いずれにしても、今週は、先月末にあった大学の同窓会アルバムの編集の仕事が入ってくるので、「とぴぐろ」の方は後回しになりそうだ。



7月4日(木)

 今日、体操教室の後で、今年始めてというか、令和の御代で最初の女子会があった。体操教室の生徒は、現在、女性10名、男性1名(つまり、黒一点)だ。私より年長の人が3人いる。年齢的には88歳が2人(そのうちの一人は長期お休み中)と83歳が1人だ。

 その長老ですら、私よりも遥かに柔軟で、軽やかに動く。私など、正座はできない、足の関節を折りたたむことも無理。背中を真っ直ぐ、直立の姿勢を取れない。つま先立ちをすると直ぐにベタンと足全体を床につけてしまう。知的教育を例に取れば、私などは特別支援学級に入れられてもおかしくはない。それでいて、彼女たちから「級長さん」と、頼りにされるのは、私が黒一点だからではないだろうか。

 今日の女子会でも、私は中央の席に座らされて、女性同士が論争になれば、私は行事役を仰せつかる。それも、満更でもないのだが…。

      


7月3日(火)

 先般、児玉麻里さんから、オルガンコンサートでお世話になったお礼にと、突然、夕食に誘われた。断るわけにも行かず、今日の火曜日の夜を約束してしまった。夕食の場所は「三笠会館・武蔵小杉店」。三笠会館は銀座が本店だが、各所に支店を出している。

 武蔵小杉店は武蔵小杉の駅前にある。駐車場がないので未だ行ったことはない。児玉さんが車で迎えに来てくれた。折角なので、一旦、上に上がってもらって、ケンゾーに御対面。
「ゥワ~、小さい。でも、真っ白でとってもキレイ」というのが、ケンゾーに対する第一声。暫く、手に乗せて遊んだ。

 一幅のお茶の後、児玉さんの車で出かけた。今日の運転手は藤木さん。日本交通の運転手だ。三笠会館・武蔵小杉店までは15分もあれば着く。「銀座洋食・三笠會館」と書かれたガラス扉を開けると、四人がけテーブルが10脚ほど並んでいる。お客は、我々が一番乗りで他には誰も居なかった。

児玉さんのお勧めで、オニオンスープ、エビフライ、ハンバーグなどを御馳走になった。エビフライはとても美味しかった。丁寧にお礼を言っておいたが、何だか怖い。そのうちに強烈な協力要請が来るのではないかと心配ではある。



7月1日(月)

 今年も半分が過ぎた。毎年のことだが、月日の過ぎて行く速さに振り返って驚いてしまう。7月といえば、昔から「七夕」と相場が決まっている。が、最近は七夕の竹飾りを滅多に見なくなった。

 昔は、住宅街を歩いていると、あちらこちらの家の角には、願い事を書いた色とりどりの短冊や七夕飾りを笹の葉につるしてあるのを見かけたものだ。が、昨今、七夕飾りを見ることができるのは、JRの駅、デパート、オフィスビル内の広場といったところに限られるようだ。

右の写真は、内幸町の「富国生命ビル」B1の「時計の広場」というところにある七夕飾りだ。10日ほど前、プレスセンタービルに出かけた時に、早々と飾り付けを終えているのを観て撮ったものだ。

 七夕飾りで思い出したのだが、我が家の”枯れるに任せている”アロエは、その後、どんどん花が開いてきて、左のような姿になった。恐らく、この状態がほぼ満開に近いのではないだろうか。こちらは、七夕飾りよりも、形状的には、クリスマスツリーに近い。

 ところで、この2枚の写真だが、先月末の同窓会でカメラの中にメモリーカードが入っていないという大失態をやらかした、あのカードから取り出した画像だ。もちろん、カードはPCの本体に挿入したままになっていた。








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