4年あまり続いた「介護日記」は、妻の死を以て終えることとした。
 本日より、タイトルを新たに「介護日記ーその後」とし、自由日記スタイルで生活の記録を留めようと思う。また、妻がこの世に存在した証をアピールするため、我々夫婦の生き様をテーマに私小説に挑戦することにした。仮題を「白い闇」と名付けたが、これは私の自分史でもある。「白い闇」は毎週月曜日に掲載の連載小説となる。(2008年4月21日)

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尚、このページのBGMはアクエアリアス氏のアルバムから、この日記のスタートに因んだ「春」のテーマとして、私の好きなベートーベンの6番「田園」の2楽章を借用した。




                  
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2020年(令和2年)







2月19日(水)

 今日は、「ユーモア・スピーチの会」の2月例会があった。今年から第4水曜日にしようと、一旦、決めた。が、26日には、どうしても外せない集まりがある。だから、私は休む積りにしていたのだが、それなら、1週間前倒しにしようと児玉さんが言い出して、19日に決まった。参加準備していた会員の方にとっては、突然の変更。お蔭で出席者は6名と少なかった。「それならば」、との児玉さんの発案で夕食には松阪牛のしゃぶしゃぶに決まった。セシリア館(児玉邸の別称)は不思議なところで、常時、冷凍庫にはA5の松阪牛があるような気がする。しゃぶしゃぶをやると分かったら、前日に解凍しておけば食卓に出せるのだ。だが、量的には限度があって、大勢のときは決してやらない。私の都合で月例会を1週間早めたお蔭で、松阪牛のしゃぶしゃぶを頂戴することになった。私には、中2日の松阪牛である。こんなことは、もう二度とないだろう。

 今日の松阪牛は、月曜日の我が家のしゃぶしゃぶと較べると、今日の方が軟らかかった。同じA5でも部位によって硬さは変わるようだ。我が家で食べたのは肩肉、こちらはモモ肉だったようだ。
右端の写真、「北秋田純米大吟醸」は2年連続で「全国燗酒コンテスト」で最高金賞を獲得した。黒河内大使の差し入れ。
    


2月18日(火)

 珍客の来訪があった。ベアトリス・キャベスタニーさん、我々仲間内では、キャベさんと呼んでいた。もう半世紀近く前のこと、宇部興産がトルコ向けにラクタム・プラントを受注した。プロジェクト・チーム(TL部)が宇部に編成され、東京の機械営業部に居た私は、急遽、このチームに加わることになった。客先のトルコ石油化学公社(PETKIM)との折衝やプロジェクト全体のコーディネートが私の仕事だった。

 宇部に赴任した私は、先ず、TL部員たちの英語力アップの必要を感じた。PETKIMのエンジニアたちは殆どが英語達者だった。彼らを指導、教育する立場の日本のエンジニアが、コミュニケーション手段の英語に関しては、向こうが先生、こちらが生徒のような現状では具合が悪いと判断した。そこで「TL英会話」なるものを作って、英会話の特訓をすることを計画し、教師の候補を捜した。最初、当時、宇部本社の英会話教室の先生をしていた三根利夫さんを考えたが、若い女性の先生ならみんなが参加するのではないかという声が大きく、先ずは、若い女性の先生を捜すことにした。その時、誰の情報だったかは忘れたが、小野田のサビエル高校に新しく、若いスペイン人の女の先生が赴任してきたことを知った。「当たって砕けろ」で、早速、サビエル高校に連絡して、スペイン人の英語の先生とやらに面会を求めた。

 面会室で待っていると、出てきたのは、ファッション雑誌から抜け出したようなチャーミングな若い女性。一目で最初に金的に出会ったように感じた。かなり日本語を喋るとは聞いていたが、どんな英語を喋るのかを知りたかったので、最初から英語で話した。時々、スペイン語の訛りなのか「スペシャル」を「エスペシャル」と言ったりする点が気になったが、他はネイティブと変わらない流暢な英語だった。

 その若い女性が、ベアトリス(スペイン語ではベアトリーチェ)・キャベスタニーさんであった。TL英会話は、彼女のおかげで、毎回、満員の盛況だった。TLプラントの仕事が終わると、彼女との接点は切れた。が、その後、彼女はサビエル高校の校長先生に出世し、小野田市の重鎮の一人となった。そして、私は環境関係の仕事で宇部市や小野田市との接触が増えていった。その頃のある出来事を、当時の宇部興産のイントラネットに投稿したエッセイがある(→こちら

 会社退任後、私は東京の大田区に居を構えたが、ベアトリスさんも東京に転勤となった。サビエル高校退任後の彼女は山口のサビエル教会の修道女(シスター)をしていたが、本国の組織(イエズス会?)が彼女の勤務先を東京の小岩教会に配転したのだ。そして、12年前、私が今のマンションに転居したときに、一度、彼女を我が家に招待したことがある。ベランダから多摩川辺りの景色を観てビックリ。
「東京にもこんな素晴らしいところがあるんですね!」と、興奮した声を出したことを今も覚えている。

 今日は、小岩教会に勤務する上でのストレスがあるのだろうか、「こんな話は教会ではできない」と言って、随分お喋りした。そして、小鳥好きと見えて、ケンゾーと楽しく遊んで、リフレッシュしたのだろう。最後は、「中村さん、あなたはこの世の中が必要とする人です。どうか、お元気で長生きしてください」と、言って別れた。尚、右の写真は彼女が持参した手作りのスィーツだ。スペインの菓子だと思うが、なかなか複雑な甘さで美味しい。何という名前の菓子か聞き忘れた。



2月17日(月)

 ケンゾーがまた卵を産んだ。1月27、28日に各1ケ。2日前にも1ケ産んだので、今回の産卵期では4ケ目となる。ケンゾーが我が家にやって来たのは、2018年4月。生後1カ月で購入した。当時の日記を見ると、ケンゾーの写真が各所に現れる(→こちら)。最初の産卵は1年後だったが、ケンゾーの産卵歴は下記の通り。

① 昨年3月~4月、計6ケ
② 昨年11月~12月、計4ケ
③ 今回、今年1月~2月、計4ケ

  1年間で14ケの産卵。確か、このブログの愛読者・佐藤さんの経験でもこれに近い数字だったので、この数字は標準的なものなのだろう。因みに、猶井小鳥店の池田さんからのメールでは下記となっている。
「ケンゾー君の産卵の件ですが、今期の産卵は①昨年11月~12月、②今回1月~2月、③これから3月~4月にもう1度あると思います。 これは標準です。心配しないでください。」

 別に心配しているわけではないが、できることなら、ケンゾーの産卵の頻度を標準以下にする方法はないのかなぁ???



2月16日(日)

 夜に次女の淳子と4女の康子(世田谷在住)を呼んで、しゃぶしゃぶパーティをもった。実は、昨年の終わり、淳子の親友、野戸史子さんから松阪牛500gを冷凍の状態で頂戴した。その賞味期限が近付いてきたので、別に、松阪牛ではないが、A5の黒毛和牛しゃぶしゃぶ用を200g買ってきて、合わせて700gを3人で食べることにした。松阪牛と名もなきA5の黒毛和牛の食べ較べでもある。

   

 食べ較べの感想は3人3様であった。淳子は、硬い・軟らかいという尺度から見ると「A5黒毛和牛」が軟らかい、が、食べ応えという観点からだと松阪牛に軍配が上がると。康子は、松阪牛の方が肉がしっかりしていておいしいと思うと。歯の弱者、私の感想は、「A5黒毛和牛」の方がマッチ・ベターであるというものだった。


2月15日(土)

 クラシック音楽作曲家の頂点にあるともいうべきベートーヴェン。1770年9月の生まれ。今年は生誕250年ということで、各地のコンサートホールでは、ベートーヴェン物が盛んに取り上げられている。今日は、ベートーヴェン特集でも、”極め付き”とでもいうべきコンサートに出かけた。神奈川県民ホールでの「神奈川フィル定期演奏会/名曲シリーズ第7回」だ。今回は、ベートーヴェン250年、神奈川フィル創立50年記念。意欲的といえば聞こえがいいが、欲張りそのもののプログムだ。演目を列挙すると下記のようになる。

(第1部)
・「レオノーレ」序曲第3番
・ロマンス第2番ヘ短調:Vn 奥村愛
・ピアノ協奏曲第5番「皇帝」より第1楽章:Pn 永富彩

(第2部)
・交響曲第1番より第1楽章抜粋
・交響曲第3番「英雄」より第1・第2楽章抜粋
・交響曲第5番「運命」より第1楽章
・交響曲第6番「田園」より、第1・第4楽章抜粋
・交響曲第7番より第1楽章抜粋
・交響曲第9番「合唱付き」より第4楽章抜粋

 このプログラムを企画したのは、指揮者の現田茂夫だ。姉さん女房の佐藤しのぶが亡くなったから、殻を破ったのか。その現田が本日の指揮者だが、途中でマイクを取って聴衆に話しかけた。
「これだけの曲を全部完全に演奏しようと思うと、明日の朝までかかるでしょう。今日のコンサートの2時間余りの中に詰め込むのは大変でした。自分でもよくできたと思います」

 コンサートは20分の休憩時間を含めて2時間半だった。ということは、現田茂夫の主導で、これだけのプログラムを2時間余りに、無理矢理'(?)詰め込んだということだろう。驚いたことに、第9番の第4楽章抜粋にコーラスを入れ込んだことだ。4人のソリストこそいないが、100人余りの神奈川フィル合唱団が実際にステージに上がって、「フロイデ・フロイデ・フロイデー♪」と歌ったのだ。お蔭で、第9のクライマックスは大迫力のうちに終わった。

 今日の演奏会では、ベートーヴェンをこれでもか! というように叩き込まれた感があるが、それでも、Pnコンチェルト第5番はとてもよかった。ソリストの永富彩さんは、良家のお嬢さんといった風貌だが、テクニックと弾きぶりには感動した。とても迫力がある。日本には、ピアノの名手(特に女性)がたくさん居るなぁ、と感心を新たにした。

尚、右の写真は昨日の夕焼け。もう少しすると太陽が富士山の上に沈む”ダイヤモンド富士”を観ることができそうだ。


2月14日(金)

 今日、2月14日は「バレンタイン・デイ」。今年も各所からバレンタインのプレゼントを頂戴した。  

 私が、毎年、いただくのは、体操教室の熟女たちからだ。今年は、昨日の13日に頂戴した。だから、毎年、2月14日に近い木曜日は休めない。昨日も、杉田インストラクターから私が受け取る「贈呈式」があった。「中村龍介さんに我々一同から感謝を込めて贈呈します」と袋に入ったチョコレートを受け取り、「有難う!」と、皆さんに見えるように掲げて一礼する。

 どうしてこういうことになったのか。実は裏がある。毎年の茂ちゃん(杉田インストラクター)年末・年始のコスプレを写真に撮ってアルバムにしたものを皆さんに配る(⇒こちら)。また、年に3~4回ある「女子会」の写真もアルバムにして全員に配る。今回のチョコレートはそれらに対するお礼なのだ。

 左の写真で左下の赤い箱「BEL AMER」が体操教室の皆さんからのプレゼント。上の「FLORAISON」は、Y女からのプレゼント、そして右の袋だが、チョット笑っちゃった。日本画家のO女からレターパックで送ってきたものだが、「バレンタイン昆布をどうぞ」とある。私の好きな「小倉屋の昆布」だ。私の本音がチョコよりもこちらの方が嬉しいことを御存知なのだ。


 夜は「ゆるりの会」が、新宿の居酒屋「虎連坊」であった。今日は網谷氏が体調不良で欠席。このところ欠席続きの畑中氏は今日も欠席。ということで、小池、大家の両氏と私の3人という聊か寂しい会だった。が、人数は少なくても、2人分喋る大家氏が居るので、座が持たないということはなかった。

 右の仏花2020-w7は、黄色いバラとガーベラが主役の積り。


2月12日(水)

 今日はツキがあるのかないのか、判断がつかないが、またぞろ大変なことを引き受けてしまったように思う。一人の男性の通信教育による家庭教師のような仕事を引き受けてしまった。この男性は、私の会社時代の同僚の一人息子。現在48歳だが、独身で、定職がなく、ブラブラしている。その彼が現在受けている、某大学・通信教育(英語)の家庭教師の仕事である。家庭教師といっても、居住場所の距離が離れていて、メールのやり取りによる指導ということになる。昨日、今日と2日がかりで、テキストを拝見したがかなりボリュームがあり、時間がかかりそうな気がする。

 それでなくても、エッセイやホームページの作成で、デスクワークはとても忙しい。その上、大学英語の指導まで引き受けてしまって、大丈夫かなという心配もあるが、ご両親に是非にと頼まれて、頼まれると断れない性分、引き受けてしまった。これかのスケジュールが益々タイトになりそうだ。これって、ツキがなかった方になるのかな?

 [訃報] 俵田 忠(タワラダ・タダシ)さん

 病気療養中のところ、ご逝去(行年84歳)。私は俵田家とは因縁が深い。私が入社した時は忠さんの御尊父・寛夫さんが宇部興産の副社長だった。同時に寛夫氏は音楽がお好きで、宇部市好楽協会の会長職にあられた。元々は音楽一家の方で、属(サッカ)家から俵田家に養子に来られた。著名な属啓成氏の義兄に当たる。その寛夫氏は海外から名だたる演奏家を宇部に招き、音響効果抜群のコンサートホール(渡邊翁記念館)で演奏会を開いた。私がロシア語の通訳をしていたということで、当時のソ連からの演奏家が宇部に来訪した時には通訳を仰せつかった。特筆すべきは、世界的ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ氏に宇部来訪の礼状をロシア語で書いたこと。懐かしく思い出される。
 忠さんとは、仕事の上では直接の関係はなかった。が、私の最も親しかった外国人、アレックス・リーさんと忠さんは大の仲良し。リーさんが宇部に来ると、必ず俵田家に顔を出した。私も何度か同行させていただいた。忠さんの長男、拓君とは仲良しだ。拓君は宇部興産の機械に入ってきて、暫く一緒に仕事をした。なかなかの好青年だったが、今はもうオジサン。会社では秘書のグループ・リーダーをしている。今回は拓君の指図で秘書から連絡が入った。通夜、告別式は下記の通り

 2月13日(木) 午後6時~7時    通夜
 2月14日(金) 午前10時~11時  告別式

 式場:無量山 傳通院 繊月会館; 東京都文京区小石川 3-14-6
 TEL 03-3814-3701



2月10日(月)

 今日は大変な失敗をやるところだった。結果からすると、何とか土壇場につじつま合わせができた。

 毎週月曜日は、掃除のおばさんが来る日。3時~5時の間で、洗濯と掃除をしてもらうのだが、このオバサンが結構話し好きで、5時前に終わっても、5時半くらいまでお喋りしていくことが多い。鹿児島の出身で、亭主とは死に別れ、娘は結婚して近くにいるのだが、滅多に訪ねてこない。家では私と同じ独居老人だから、お喋りの相手がいないのだろう。今日も、何の話だったか忘れたが、喋りだして腰が据わった。適当に相槌を打って聞いていたが、5時半に下のゴミ置き部屋が閉まるからと帰っていった。

 テレビをつけ、夕食の支度。カレーの残りだから簡単だ。ガスに火を点け、カレーの鍋をその上に置く。カレーができるまでに冷奴を作って、食べた。冷奴などというと、夏の一品だが、私は冬でもよく食べる。たっぷり削り節をかけると、これが良質の蛋白源になると誰かから聞いた。

 その時に何故か、突然、今夜は何か観るものがあったのではないかと頭の片隅にひらめいた。面白そうなTV番組のあるときは手帳に書き留めてあるのだ。書斎まで行って手帳を見る。「6時半、恵比寿/おはし」というメモ書きがあった。ゲッ、きれいに忘れていた。今日はS女と夕食の約束があったのだ! 時計を見ると、5時50分。我が家から恵比寿までは最短で行くと40分ほどで行ける。着の身着のまま、ダウンのジャンパーだけを羽織って家を飛び出した。駅まではチャリで全速力。駅前にチャリを停めて、ホームに入ってきた電車に飛び乗った。空いていた座席に座ったが、肺はゼイゼイと悲鳴を上げていた。そっと深呼吸をしながら、ガスを止めてきたかが気になった。今更引き返せない。停めたことにすると決めた。

 「おはし」に着いたのは6時40分近かった。S女は来ていた。
「遅れてゴメン!」
「許容範囲内だから大丈夫よ」というのを聞いて、肩の荷がドッサリ落ちたような気がした。

 S女とは会社時代からの付き合いだ。当時、自営の翻訳家だった。聖心女子大の英文科出身で、得意の英語を使って翻訳業をやっていた。日立の某社の取説や技術資料の和文英訳が主たる仕事で、私も何度か急ぎの英訳を頼んだことがある。女性にしては、技術英語が上手だった。今ではS女も独居老人だ。

 この日の食事は和牛ステーキ御膳というのをトライした。「おはし」は割烹なので、ステーキといってもドカッと出てくるのではなく、一口大に切った上品なもの。お味もグーで、話も弾んだ。

 帰路、駅から自転車で帰る道すがら、消防自動車のサイレンに聞き耳を立てたが聞こえてこなかった、マンションも無事で、カレー鍋の火はちゃんと消してあった。なかなかヤルじゃん。大失態も事なきを得たし、私のツキもまだ落ちていないようだ。写真は、2020w4の仏花の百合が開いたもの。何となくグロテスクだが、折角咲いたので紹介させていただく。


2月9日(日)


 今日もいい天気が続く。だが、外気温は1~2℃と、低い。だから、「真白き富士の嶺」が大きく見える。

 今日は午後からホームページのお助けマン、松田氏が来訪した。不思議なことだが、一人で考えるとどうしても判らなかった難題が松田氏にかかると、手品を見るようにスイスイと解けていく。習熟の差と言ってしまえばそれまでだ。私も、もっとPCの技術の世界に深入りしなければいけないのかもしれないが、正直、そんな余裕はない。

 結局、困ったときには、松田氏や新開氏のようなお助けマンに頼る以外にはないのだ。それだけ余分なお金がかかるが、それもやむを得ないことだ。もう今年で満80歳になる。押しも押されもせぬ80翁なのだ。

 松田氏の授業が早く終わったので、プロ野球キャンプ情報を観た。我がタイガース、今日は宜野座の「かりゆしスタジアム」に日本ハムを迎えて練習試合がある。昨日の北谷での中日との練習試合は負けていた試合を逆転して1点差で勝利した。今日も先制点は日ハム。いつかは、きっと逆転するはずだと信じて観ていたが、結局、4-8の惨敗。面白くない!

 夜は、カレーの残りだ。たくさん作ったのでかなり残っている。多分、明日も明後日もカレーになりそうだ。今週の仏花は、一転、水仙、小菊に雪柳で簡素に仕上げた(右、2020-W6)。



2月8日(土)

 朝から快晴。富士山の白い雄姿が遠くに見える。手前の河川敷では、木曜日のブログで紹介した少年野球のグラウンドがほぼ出来上がった。これから春に向かって外野の土に混ぜた芝生の種が芽を出し、緑の芝生が完成すれば、素晴らしいグラウンドになるだろう。右側の写真は、「ゲートボール場」。こんなところにも「長幼の序」があるのか、こちらはかなり前に出来上がっていた。

   

 今日は忙しい日。夕方に高校時代の友人2人を招いて、中村シェフ特製のカレーライスを御馳走することになっている。昨日、じっくり煮込んでおいたので、今日は味付けをすればよい。カレー・パーティの前に前段のイベントがある。自由が丘に新しくできた「あおぞら銀行」の「オアシス・ルーム」で「多田周子のトーク&ライブ」があるのだ。それに、その友人2人を招待することにしている。午前中に、カレーの味付け(ルーの煮込み)を終え、サラダを作り、フルーツを切って盛り付けし、午後から自由が丘に出かけた。駅の南口でS君とY女の来るのを待って「オアシス・ルーム」に出向いた。多田周子東京後援会・専務理事の橋田氏も来ていた。

 この会場は、「自由が丘ライオンズクラブ」会長の河津延樹氏の紹介で借りたようだ。今日はその河津氏が司会をやった。予定より30分遅れてショーが始まった。下の写真はその様子。部屋のしつらえが「ルーム」の空間だけで、ステージがないため、歌手と観客の距離が極端に近く、同じレベルのため、とてもやりにくかったと、後に、多田周子さんがこぼしていた。

      

   

 コンサートが終わってから我が家に急いだが、残念ながら、夕陽は沈んだ後だった。「コンサートのスタートが遅れたのがいけないのよ」とY女がぼやいた。私がカレーを仕上げる間、2人はケンゾーと遊んでいた。出来上がったカレーには、「旨い!」「絶品だわね!」と喜んで食べていた。楽しい一夜であった。


2月6日(木)

 今朝も好天だが、外の最低気温は1℃。TVでは、今冬一番の冷え込みだという。体操教室は、今年初めて休むことにした。寒いからという理由よりも、明後日の土曜日に来客があり、絶品のカレーライスを作らなければいけないのに、明日の金曜日にはエレベータが緊急工事で一日停止するという。ということは、買い物は今日のうちに済ませておかなければならない。

 午前中に車で買い物に出かけた。最初はオリンピック。牛肉、ルウ、野菜類、ドリンクを買って、帰りに東武ストアに寄る。ここでは、果物類と花を買った。オリンピックの帰りに、下丸子公園の前を通りかかると、紅梅が満開だったので、車を停めてスマホで1枚撮ってみた。

 仏花は、春らしいはなやかなものがいいだろうと、ピンクのバラと黄色のカーネーションを主役にしてみた(右、仏花 2020-w5)。オリンピックは、1F,2Fが売り場で、3F, 4F, 屋上が広い駐車場.。普通は3Fに車を停めるため、雨風には無縁だ。が、東武ストアは屋上が駐車場なので、青天井。今日などは気温が低いうえに風が強いため、エレベータまでは少しの距離だが、寒~い!

 料理は明日一日かけてやればいいので、午後からはタイガースのキャンプ情報でもゆっくり観ようと楽しみにしていたが、タイガース専属の放送局「スカイA」のチャネルでは卓球の中継を流していた。どうやら、今日は練習はお休みらしい。私の体操のように休みが多いと困るのだが…。

 河川敷の野球グラウンドの修復は、今日もたくさんの土を運んで来ていた。今日の土は前回紹介したような黒い土ではなく、白っぽい土だ。少年野球とはいえ、グラウンドは本格的だ。

 


2月3日(月)

 今日は立春。大寒の1月20日以降、寒~い! と感じた日は4~5日しかなかった。北海道や日本海側は、連日、雪の世界らしいが、太平洋側は暖かな好天気が続く。このまま春になってくれると嬉しい。午前中、近くのスーパーを覗いてみたら、売り場は恵方巻きの札があちらこちらに下がっている。去年、売れ残りによる大量廃棄が問題となり、フードロス削減の取り組みが広がるきっかけとなった。だから、今年は予約販売を中心として、当日売りは極力少なくするという前触れだった。それにしては、当日売りの恵方巻きが所狭しと並んでいた。恐らく、当日売りは相当量売れ残って捨てることになるのだろう。日本全国で年間のフードロスは640万トンほどになるという。何とももったいない話だ。私は加齢とともに食が細くなって、昔のように太巻きを1本丸かじりにするといったような芸当はできない。半分にカットしたものを一つだけ買った。

 今朝も朝から天気が良く、富士山がきれいに見えたが、頂上のすぐ上に傘雲というのだろうか、大きな雲が、かかっていた。その傘雲も直ぐに取れ、午後は、日本晴れの天気となった。昨年10月の台風がもたらした大雨でで河川敷に水が溢れ出し、多摩川だけで40以上ある少年野球のグラウンドは壊滅的な被害を被った。我が家の前のグラウンドは、大田区/公園緑地課の管轄だろう。目下、本格的な修復が進んでいる。

 


2月1日(土)

  今日、HPのお助けマン、松田さんが見えて、早速、修復に取り掛かった。松田さんの見解は、現状は Windows 7から一旦「10」に引っ越したはずのファイルは完全に「10」から消えている。修復の方法としてオーソドックスなのは、Windows 7を今一度立ち上げて、USBなどの記憶媒体を使ってすべてのファイルを「10」に持ってくることだが、データの容量が莫大で(何せ、14年分のデータなので)もの凄く時間がかかると思う。時間短縮と確実性を担保するためには、自分はサーバーからデータを持ってくることを勧める。サーバーにあるすべてのデータは、元々、PC側にあったもので、ウェブ上にアップロードするためにサーバーに預けてあるもの。それをPC側に(各々のファイルのコピーを)返してもらうだけだ。その方法は、USBのような記憶媒体を使っていたら時間がかかりすぎるので、サーバーにあるファイルを「転送ツール」を使ってPC側にコピーを転送する。

 転送ツールは、以前から松田さんがよく使うツールだが、私には少し難しくてこれまでほとんど使ったことがない。それを松田さんに教わりながら、何とかフル・データのコピーををPC側に転送することができた。今度は、PC側のデータに新しい更新原稿を追加して、サーバー側に送り返すことができれば、ファイルの更新は可能だ。松田さんが帰った後、私がこうして少しずつ更新したものが、サーバー側に届けば、松田さんが居なくてもファイルの更新はできることになる。現実に、2月1日のブログを愛読者の皆様方のPCで見ることができれば、道は開けたということになる。後は、習熟の問題だ。ただ、今回の更新をウェブ上で見ることができたとしても、簡便法でやったところがあるので、正式には松田さんの確認を取ってからのことになる。








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