4年あまり続いた「介護日記」は、妻の死を以て終えることとした。
 本日より、タイトルを新たに「介護日記ーその後」とし、自由日記スタイルで生活の記録を留めようと思う。また、妻がこの世に存在した証をアピールするため、我々夫婦の生き様をテーマに私小説に挑戦することにした。仮題を「白い闇」と名付けたが、これは私の自分史でもある。「白い闇」は毎週月曜日に掲載の連載小説となる。(2008年4月21日)

 「白い闇」(最終章)へ移動

尚、このページのBGMはアクエアリアス氏のアルバムから、この日記のスタートに因んだ「春」のテーマとして、私の好きなベートーベンの6番「田園」の2楽章を借用した。




                  
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2020年(令和2年)







1月21日(火)

 朝からの快晴も、風がもの凄く強い。体感温度は5~6℃だろうか。昨日は、快晴で風もなく体感温度は10℃以上でポカポカ陽気だった。が、皮肉にも昨日が24節季の「大寒」。1日ずれていればビッタリだった。

 昨日は昭和大学病院で肺がん手術後の3カ月定検に行ったので、買い物も車で動いた。今日は駅前の店を数か所、訪れるので、駐車に便利な自転車で出かけた。向かい風をまともに受けると電動アシストの自転車でも前に進まなくなる。先ず、処方箋薬局で昭和大学病院に指定された「ウルティブロ」を買う。肺気腫(COPD)の治療薬だ。吸入薬で、それほど効果があるとは思えないが、毎日1錠吸入している。その後は、銀行のATMに立ち寄り、駅前のマルエツで買い物をした。

 夜、夕食の支度をしていると「ピンポーン」とチャイム。モニターで確認すると、ヤマト・ロジスティックスだという。思い出した。母の遺作・50号油絵だ。この遺作は、元々、父方の叔母・照子さんが母に頼んで、踊り子の画を大型の車で持ち帰ったのだ。もう何十年も前の話だ。その後、照子さんが亡くなって絵の消息は途絶えた。私もその絵のことなどすっかり忘れていた。が、1カ月ほど前、父方の従弟の一人、T君から、「その絵をウチで預かっている。荷物整理をしていて出てきた。できれば、引き取ってほしい。引き取れない場合はこちらで適当に処分したい」と言ってきたのだ。

 母の50号の遺作は、我が家の玄関に「冬の詩(ウタ)」という絵が掛かっている。それだけで十分だ。「踊り子」は、適当に処分してほしい、というのが本音だが、それでは、中村家の長男としては立場がない。無理をして引き取る旨をT君に伝えたのだ。それじゃ、とばかりに絵の梱包代と運送代の合計38,000円を請求された。これも即座にT君に送金した。

 客観的に考えれば、38,000円を払って、粗大ごみを引き取るようなものだが、父方の「いとこ会」の中では私が長老の一人だし、昨年集まったいとこ会では、私が男性の最長老だった。その最長老が自分の母の遺作を要らないから、そちらで処分してくれとはどうしても言えない。

 ヤマト・ロジスティックスの運んできた梱包は、玄関に置かれたままになっている。梱包を解いてもゴミが出るだけだし、中の油絵も置き場所に困るのだ。あーあ、ため息が出るよ。

                       バカみたい!


                         





1月19日(日)

 今年4度目のコンサート。横浜「みなとみらいホール」に出向いた。出し物は、毎年、正月明けに開催の「生きる」というイベント。毎日新聞社と横浜市が主催する「若い命を支えるコンサート」だ。中身は「小児がん征圧キャンペーン」とでも言おうか、毎日新聞が財政的な援助をして、子どもたちを小児がんから守ろうとする催しだ。だから、音楽家を目指す若い人たちにチャンスを与える意味で、全日本学生コンクールの優勝者を招待して、実際にソリストとして演奏させたり、プロのオケの団員に交じって演奏させたりする。

 本日は、フルート部門・中学校の第1位、山本涼音さん(中学3年)には、実際のステージで、神奈川フィルをバックに、ライネッケ「フルート協奏曲ニ長調」の第三楽章をソロ演奏するというビッグなチャンスが与えられ、また、チェロ部門の高校の部1位と大学の部2位の受賞者には、神奈川フィルの正規メンバーと一緒に、全プログラムを演奏させた。

 プロのソリストは2名。硬派のヴァイオリニストとして人気沸騰中の石田泰尚と女流ピアニストとしては、同じ仙台出身の小山実稚恵に次ぐ実力者で人気も高い、仲道郁代(右)。石田はヴィヴァルディの「四季」全曲を弾いたが、これは、いささか長すぎる。4シーズンそれぞれに第1楽章~第3楽章まであるので、全部で12の楽章を聴かなければならない。編成楽器の中にチェンバロが登場していたが、小メンバーのオケの中に入ると、まるで主役のように真ん中に場所を占めるが、一体、何時演奏されたのか、最後まで分からなかった。

 本日の演目のメインは、矢張り、仲道育代の弾くグリーグの「ピアノ協奏曲イ短調」だ。ノルウェーの作曲家・グリーグといえば、「ペールギュント組曲」と「ピアノ協奏曲」しか知らないが、このピアノ協奏曲は名曲中の名曲といってもいい。第1楽章の出だしからしてすごい迫力。仲道が弾くと迫力が倍加するようだ。3楽章の終わりまで、息もつかせぬ迫力で迫ってきた。鍵盤もlあれだけ強打されれば、後の調律が大変じゃないだろうかと心配になる。

 仏花は[2020-3week]。デジカメで撮ると、PCに転送する方法が分からないので、スマホで撮ったのだが、色調が飛んでしまった。特に、ピンクのカーネーションに黄色の百合の組み合わせがポイントなのだが、両方とも白っぽく写ってしまった。


1月17日(金)

 阪神大震災から節目の25年。25年というのは、欧米では「四半世紀(quarter century)」として節目の意義が大きい。毎年、この日になると思い出すのだが、アメリカに赴任早々の前々年に妻が脳出血で倒れ、未だ生活設計の目途もつかない時点で起きた大震災だった。震源地が実家に非常に近く、というか、活断層が実家のすぐそばを走っていたらしい。我が家から南に少し下がった阪神高速道路がねじり切られたように倒壊し、切れ目に大型バスが引っかかっている写真は、アメリカのテレビでも何度かお目にかかった。

 この時、父はもう他界していて、母は骨折で甲南病院に入院していたので難を逃れた。が、問題はその後だった。実家は完全に壊滅していて再建の見込みは全くなかった。母が病院から帰る場所がないのだ。一方で、病院には震災で被災した重症患者が次々に送り込まれてくる。足の骨折くらいで病室を占拠しているわけにはいかなくなった。アメリカに連れてくるのは無理だ。妻は右半身不随で入院している。面倒を見る人がいない。

 当時、長女が結婚して、成田の近くの富里に居た。とりあえずは、長女のの新居に1か月だけ預かってもらうことにした。その後は、次女と3女が共同で借りているアパートに逗留することになった。当時、次女は獨協大学の3年生。3女は立教大学の1年生で、二人は埼玉県の朝霞に2DKのアパートを借りて共同生活をしていた。そこに、足腰不自由な老人が押し掛けたのだ。娘2人も大変だったろうが、母も随分気兼ねだったと思う。この頃から「神戸に帰りたい」を
何度も口にした。母の頭の中では、神戸の家は厳然と存在していたのだ。右の写真のような被災した家の写真を見せても、「これ、何処やのん。ウチと違う」と、現状を受け入れられなかった。テレビの報道や雑誌の写真で神戸の街の被災状況をある程度認識してからは、「何で、こんなことになったんやろ」を繰り返した。

 翌年、私に帰国辞令が出て帰国した。荻窪・善福寺の借り上げ社宅に入居。母を引き取った。今度は要介護が2人同居となって、1階の6畳間にベッドを2つ置いて母と妻の共同生活が始まった。狭い玄関には車椅子2台並んでいた。



1月16日(木)

 今年2度目の体操教室。年末に風邪を引いてから体調不良が続いていた。もう、そろそろ体操を始めてもいいのではないだろうかと、サボらずに出席した。体操は、タオル体操、エアロビ体操、ストレッチの3クールで行われるのだが、ストレッチは私の最も苦手とするクールだ。マットの上でやるヨガのような体操で、身体の固くなった私には柔らかい熟女たちにはついていけない。だから、昨年の秋ごろから第3クールはパスすることにした。

 今日は、第1、第2クールをそれなりに真面目にやった。何とかついていけた。体力的にも回復してきたように思う。


1月15日(水)

 新しく Windows 10 を導入してから1歩前進2歩後退の連続で、未だに手になじまない。最も苦労するのが写真の取り込みで、以前の Windows7 だと、デジカメのフラッシュメモリーを抜き出して、PC本体のスリットに差し込むだけで簡単にPCに取り込むことができた。それが、今度の Windows 10 のDELL機にはメモリーカード用のスリットがない。仕方なく、デジカメとPCの接続コードを使って取り込むのだが、今度は、ホームページ作成中に写真を挿入しようと、指定場所のファイル名を指定しても、何故かその場所に問題の写真がないのだ。まさか、千の風になってどこかを飛んでいるはずもないが、とにかく、お墓を訪ねてもそこに尋ね人はいないのだ。というわけで、写真の挿入が未だに思うようにできない悔しさが顔を出す。先日は、悔しさのあまりいろいろとトライしていて、突然、これまでのホームページのファイルが全部消えてしまった。一時は真っ青になったが、救う神も居るようで、苦し紛れの「再起動」で全部が復元した。

 本日の記事も写真がないと、情景が分かってもらえない歯がゆさが残る。昼に、AKGの練習風景を見学するために赤坂のライブハウスに出向いた。AKGとは「赤坂混声合唱団」の略号で、指導監督は多田周子。興味のある方は、このブログの昨年4月29日(→ こちら)を見ていただきたい。昨年の平成の終わりに第1回の発表会をやった。今年の第2回は4月12日にある。そのための練習に熱が入っているのだ。私の「ユーモア会」の仲間の一人、T女がこのAKGに興味ありというので、今日、赤坂のライブハウスに案内した。もちろん、T女の見学がメインで、T女が練習に加わるのは想定内だが、私は単なる付き添いの立場。観客席に座って観ていればいいのだろうと高をくくっていたがだが、多田周子さんの悪戯というかサービスというか、団員たちと一緒に練習に加わることになった。

 先ず、立ち上がって準備体操から入る。首を回したり、手を振ったり、ラジオ体操に近いような準備体操が終わると、今度は発声練習。周子さんのお手本に倣って全員で声を出す。体操、発声ともに10分程度費やして、いよいよ曲の練習が始まる。私のところにもスコアが配られてきた。

「スコアの読めない人は、単なる模様だと思って耳で覚えてください」と多田周子先生。私もオタマジャクシは苦手だ。が、コーラスにはそれほど抵抗がない。その昔、小学校の高学年ではコーラス部に入っていた。確か、「神戸放送」だったか、ローカルの放送局のスタジオで歌った記憶もある。この日も、それなりの努力をして声を出した。練習の後、「男声部員が少ないの。中村さんも入ってみない?」と多田先生から甘い言葉もかけられたが、丁重にお断りした。今年80歳になろうかというのに、これ以上の負荷がかかってはやっていけない。


1月15日と16日の記事を書きたいのですが、システムの具合が変で、考え込んでいます。もう少しお待ちください。


1月12日(日)

 今日は今年3度目のコンサート。でも、聴きに行くというよりは、観に行くという方に重点が置かれていた。場所は、横浜の「神奈川県民ホール」、出し物は「シルク・ドゥラ・シンフォニー」。これは、フランス語の原語では「cirque de la symphony」で、「シンフォニーのサーカス」とでも言うべきか。数年前から世界的に人気が出てきた「シルク・ドゥ・ソレイユ(cirque du soleil):太陽のサーカス」とシンフォニーを結合した一種の新語である。意味するところは、「シルク・ドゥ・ソレイユ」が、音響をバックにサーカスをするのに対して、「シルク・ドゥラ・シンフォニー」は、生のオーケストラがBGMになるというもの。だから、どちらが主役とは言い難く、両方が主役となる出し物である。つまり、聴覚と視覚から入ってくる出し物ということになる。

 サーカスのメンバーは「シルク・ドゥ・ソレイユ」のメンバーがメイン。オケは、「キエフ国立フィルハーモニー交響楽団」、指揮はニコライ・ジャジューラだ。幕が開くと、フルオーケストラの登場で、カルメン第1番「トレアドール」で景気よく始まる。次に第2番の「ハバネラ」に移ると、マジックのスタート。衣装の交換をアッという間に終える、着せ替えの早業を中心に指揮者のジャジューラをも巻き込んだ複雑なマジック。観客が呆気に取られていると、曲がリムスキー=コルサコフの「雪娘」より「道化師の踊り」に替わり、舞台ではピエロが出てきて踊る。

 次の出し物は、「空中ヴァイオリン」。これには度肝を抜かれる。2本の布にぶら下った金髪の美女が逆さまの姿勢でヴァイオリンを弾くのだ(右写真)。曲は、ヴィヴァルディの「四季」より「冬」の第1楽章と3楽章。しかも、この布ロープは演奏中は舞台上をグルグル回っているのだ。で、ヴァイオリンの腕前が下手なら御愛嬌だが、それが、素晴らしい弾きぶりなのだ。これには、私も宇部弁でいう「たまげたでよ~!」だった。

 他にも様々なサーカスがオーケストラに合わせて演技をした。空中ブランコの類が多かった。が、ムキムキマンの男2人の力感あふれる演技やジャグリングや大きなリングの中に入ってグルグル回る演技など、視覚と聴覚の両方を同時に攻撃してくるパフォーマンスは迫力がある。

 更に、第2部でも、前半に出演した「空中ヴァイオリン」の彼女が、今度は難曲ではトップクラスのモンティの「チャルダッシュ」を弾いた。これには2度目の大タマゲ。キエフ・フィルの演奏も素晴らしく、シュトラウスの「美しく青きドナウ」、ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」、モーツアルトの「フィガロの結婚序曲」、チャイコフスキーのバレエ曲「白鳥の湖」に「眠れる森の美女」、ウェーバー「舞踏への勧誘」、シベリウス「フィンランディア」など、有名な小曲を集めての演奏と信じられないようなサーカスのパフォーマンスという新しいエンタテイメントに圧倒された2時間であった。



1月11日(土)

 15年間、私が続けてきたホームページが、この先も続けられるようになるのか否かの重大な局面を迎えている。今日がその大体の方向が決まる大切な日。

 私が現在使っているパソコンは、故・縄田悟さんから譲り受けた、縄田さんの形見ともいえる「Windows 7」である。この Windows 7が、今年の1月14日を以てサービスを打ち切るとの発表が、Microsoft社から 1年前に出された。以前、Windows XPがサービスを終了すると発表されたときは、直前になってサービス期間が延長された。Windows 7の場合も延長があるだろうと思われたが、今度は延長はなしで、「1月14日に終了する」との警告がポップアップなどで出てくる。私も、遂に、Windows 7を見切る決心をした。

 私がPCを Windows 10に移行する場合の最大の問題は、ソフトやデータの引っ越しである。それも、最も懸念されるのが、ホームページだ。15年前、私がホームページを作成するうえで採用したソフトは「IBM Homepage Builder」だ。当時は、バージョン7が最新で、これのCDを買って、当時の XPにインストールした。その後も毎年のように新しいバージョンが出て、バージョン12まではアップ・グレードしたが、それから先は、IBM社がホームページから撤退し、ビルダーの権利を売り飛ばしてしまったこともあって、バージョンアップはせずで、12のままだ。

 ところが、この分野の技術の進歩は目まぐるしく、私の使っているような古いソフトが Windows 10の最新のOS(基本ソフト)に認識されるかどうかすら分からない。ホームページに関する私のお助けマンは松田さんという方だったが、この方は目下消息不明で連絡が取れない。そこで、ソフト面でのお助けマンの新開さんに連絡を取った。新開さんに言われるがまま、新しいPC機をアマゾンで買い込んで、今日の日を待った。ただ、新開さんは、ソフトに詳しく、データの引っ越しには手馴れているとのことだが、Homepage Builder に関しては全く知見がない。そこで、まさかの時には、データ引っ越しのお助けマンになるかもしれないと、「おまかせ引越しPRO」というソフトも買い込んだ。

 午前11時、新開さんがやってきた。最初は手際よく進めて行ったが、ホームページの引っ越しで、案の定、行き詰った。そこで、私が「おまかせ引越しPRO」を見せた。手に取って眺めていたが、「プロはこんなものを当てにしない」と放り出してしまった。そこで、私がダメ元でトライすることを強くリコメンドした。当初はいやいやながらトライしていたが、意外にスムースに引っ越しできる機能に興味を持ち、このソフトを中心に引っ越しすることになった。結論からすると、すべて上手く行き、5時間余りかけて、漸く、引っ越しは完了した。
写真は、「このソフトは、なかなかの優れものだね」と驚いた表情を作った新開さん。
と、書いたものの、写真を張り付ける方法が分からない。もう少し、勉強してみる必要がありそうだ。→ 後日、新開さんの写真をアップロードすることには成功した。が、まだまだ未解決の問題が残ったままだ。



1月9日(木)

 今年最初の体操教室。杉田インストラクターの「年の初めのコスプレ」があるので、カメラ持参で出かけた。正月の名残でまだ忙しいのか、生徒は7人と少なかった。が、久し振りに最高齢のN女の顔があった。今年90歳になる熟々女だが、画を描いているからか、気持ちが若い(下の写真・後列左端)。顔が合うと、私の方に近づいてきてハイタッチ。何時も、タイガースを目の敵にする巨人ファンのM女はお休みのようだ。良かった! 今日は、年の初めなのでタイガース・ポロシャツを着用した。M女がいたら罵詈雑言が飛び出したかもしれない。

 さて、茂ちゃん(杉田インストラクターのこと)の最初の変身は今年の干支「ネズミ」だ。文字通り、市販のネズミ色のポロシャツに前掛け付きのキュロットパンツ(こちらは自分で作ったとか)。頭にはネズミの被り物。手には、「あっぱれ」の日の丸扇子。それに、手袋、靴下、靴もネズミに合わせたワンセットだ。

 茂ちゃんのいいところは、年末が近づくと、どんなコスプレで熟女たちを喜ばせようかといろいろ考えて、既成品だけでなく、自分でもミシン掛けして独自の着衣をつくる。熟女たちは、ファッションショーを観る楽しさと、子供の頃に遊んだ着せ替えの延長のような面白さで、クリスマスとお正月のコスプレを首を長くして待っているのだ。

 茂ちゃんは、また、自分が写真のモデルになるだけではなく、全員で記念写真を撮る(この場合、シャッターを押すのに受付嬢を呼んでくる)という配慮を忘れない。全員集合の写真は、茂ちゃんにとっても自分の生徒たちを思い出す上で格好の記念になるだけでなく、私の作るアルバムが生徒の一人一人にとって無くてはならない記念品にとなっていることを茂ちゃんはよく知っているのだ。だから、バレンタインデーには、皆から寄付を募り、私へのバレンタイン・ギフトを忘れない。

 茂ちゃんには生まれつきエンタテイナーとしての素質が備わっているのかもしれない。下の写真は、その集合写真。受付のお姉さんがシャッターを押した。私は、この日、タイガース・Tシャツを着たが、これはもちろん、今年のタイガースの活躍を願ってのことだ。

 

 後は、更なる茂ちゃんの变化|ネコ→「トラ(?)」→「向日葵」を紹介する。

    



1月7日(火)

 今日は、今年はじめての昭和大学病院での診察があった。午前11時半のアポで、泌尿器科森田医師。前立腺がんの定期検診だ。11時過ぎに病院着、駐車場は思ったより空いていた。何時ものように受付を終えて、診察室の前で待つ。泌尿器科は長期戦だ。私は、バッグの中から、河合香織(→こちら)の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作「選べなかった命」を取り出して、読み始める。ノンフィクションの大作だ。実は、著者の河合香織さんには、今月後半にインタビューの内諾を貰っている。彼女は若いながら多作家で、すでに5冊以上のベストセラーを出している。そのうち2冊ぐらいは読んでおきたい。

 何時もは2時間ほど待たされるのだが、今日は1時間余で順番が来た。読書は、思ったほど進まなかった。診察では、昨日の採血の分析結果の報告が主体だ。最も大切な数字は前立腺がんのマーカー「PSA」の値だ。前回までは、0.08のオーダーが続いていた。今日は、0.094と出た。少し増えているが、小数点2ケタの数字なら全く問題ないとのこと。

 診察は比較的早く終わったが、その後のリューブリンの皮下注射でかなり待たされた。お陰で読書の進捗度はかなり上がった。病院を出たのは2時半頃。結局、3時間余りかかったことになる。貴重な読書時間でもあった。

 帰りに、スーパー「OK」まで足を伸ばして買い物に行った。幸い、駐車場は余裕があった。昨年末から何度も駐車場が満車で入れなかったので、今日はたくさんの買い物をした。

 左の写真は、仏花ー2020年度の第1週(1W-2020)。桜が好きだったスイートピーと赤いバラの組み合わせ。松の葉はリビングの花瓶から1本頂戴してきた。お正月らしい雰囲気が出ていればOK。



1月6日(月)

 新年に入ってから好天が続く。しかも、朝は空気が冷たいので、西の空には富士山が美しい。

 正月休みも終わり、今日から2020年の日常がはじまる。私のところでは、日常のスタートは葬式だ。いや、芳忠兄はクリスチャンなので「献花式」だ。午後1時から鎌ヶ谷教会である。車で行くことにした。明日の昭和大学病院の定期検診が前立腺がんのチェックなので、そのための採血を、今日、済ませておく必要がある。朝、10時半頃、昭和大学病院着。採血は混んでなかったので直ぐに終わった。11時過ぎには病院を出た。

 今朝から、車のガソリンが殆どないのが気になっていた。高速の途中でガス欠になっては悲劇だ。ガソリン満タンにしてから高速に入ろうと、中原街道の外側の車線をゆっくり走りながら「ガソリン」を探すが、こんなときに限って見つからない。その内に、高速入り口にやってきた。これをパスすると、次の入り口は何処にあるかわからない。ままよ!と、高速に入った。目黒から銀座経由で京葉道路に入り、原木インターで高速を降りるまで約30キロ。その間、ガソリンが持つだろうと勝手に決めた。その昔、3女の麻子と2人でドイツの高速を走っていて「Fuel」の警告が出た。車はレンタカーなのでガソリンを入れればそのまま返すので無駄になる。なんとか持ってくれるだろうと走らせながら、チクチクと心臓が痛む。あの心境を思い出しながら走った。

 「自分は未だツキが残っているな」と感じたのは、原木インターの出口にたどり着いたときだった。が、一般道に入って、途中、中山競馬場の渋滞(レースがなくても場外馬券を売るから車が渋滞する)に巻き込まれた時点で、「やっぱりツキはなかったか」と反省し、JAFのお世話になることが頭に浮かんだ。が、やがて渋滞を抜けると、残りのガソリンが後数滴(?)ではないだろうかという段階に至って、「ENEOS」の看板がチラリと見えたときには、心はヨッシャ!を叫んでいた。昔見た西部劇で、アパッチに追い詰められて万事休すの段階で援軍のラッパが聞こえてくる、あのシーンの再現のようだ。「俺には、まだツキが残っている」という結論に達したのは、ミラージュのフュエルタンクを満タンにして、元気よく道路に走り出たときだった。

 その後、車は一般道路を機嫌よく走って、12時半ごろ、ナビに指定したコインパークに着いた。車を停めて、外の空気を吸おうと一旦外に出た。その時、背後から声がかかった。
「龍介さん、ですよね」
 見ると、長身の男がこちらを見ている。何処かで見たことがある。
「顔は覚えているのだけど、どなただったっけ」
「宗忠の次男、ムネトシです」
 宗忠とは、高徳家の6人兄弟の末弟だ。6年前に肺がんで亡くなった。宗俊クン一家は野田に住んでいるとか。だから、今日は一家で葬儀に参列するのだ。

 少し早いが宗俊クンの案内で鎌ヶ谷教会まで歩いた。もう、たくさん来ていた。礼拝室に置かれた椅子に腰を下ろして式の始まるのを待った。芳忠氏の祭壇が正面に飾ってある。その前の席には、厚子夫人、長男の真人クンの顔も見える。やがて、教会のオルガンが前奏を奏で、本日のMCとなる牧師さんがマイクの前に立つ。「招詞」(聖書より)、賛美歌402、主の祈り、聖書、祈祷、賛美歌532、説教、祈祷、賛美歌515、祝祷、後奏と続き、「故人を偲んで」というタイトルで送辞が入る。最後は、献花。仏式葬儀の焼香に当たるものだ。各人がカーネーションの花を1本受け取り、それを祭壇に捧げる。そして、焼き場に向かう霊柩車を見送る(仏式でいう「出棺」だ)。

   
   

1月5日(日)

 今年2度めのコンサート。昨日と同じ「みなとみらいホール」だ。しかも、昨日は第6列、18番だったが、今日は1列前の18番。真後ろが昨日の席だ。新春コンサートの第2弾だが、出し物は当然異なる。今日は、「宮廷祝賀コンサート」。演奏するのは、ウィーンの本場から来日した「ウィンナーワルツ・オーケストラ」(→こちら)。毎年、ウィーンの学友会館で行われる「新春コンサート」の舞台を横浜に持ってきたような感じだ。この楽団も過去に20回来日し、今回が21回めの来日である。我々もその半分近くは観たかもしれない。

 演目は、殆どがヨハン・シュトラウスⅡの作品となる。従って、毎年、プログラムに入ってくる「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、「雷鳴と稲妻」、「美しく青きドナウ」などは定番で、今日も演奏された。この楽団の特徴は、指揮者のサンドロ・クトゥレーロがエンタテ―ナー振りを発揮する面白さと、2組のバレーダンサーが演ずるダンス、それにソプラノのソリストの歌声だ。今日のソプラノはゾーヤ・ペトロヴァは、素晴らしい声量のコロラチュラ・ソプラノで、その迫力は聴衆を魅了した。そして、最後はお決まりの「ラデツキー行進曲」。昨日の東京交響楽団に続いて、拍手で演奏に参加した。

 


1月4日(土)


 今年初めてのコンサート。午後から「みなとみらいホール」へ。本日の出し物は、東京交響楽団・New Year Concert。指揮は秋山和慶、ピアノは小山実稚恵。この組み合わせは、ここ数年、「みなとみらいホール」の新春コンサートの定番となった。曲目は、当然、生誕250年のベートーヴェンから「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」。

 今や、人気、実力とも日本を代表するピアニストとなった小山実稚恵は、現在、60歳。ますます円熟味を発揮する。本日の「皇帝」が、また、素晴らしかった。小山実稚恵は、ピアノの前に座って演奏を始める前、すごくリラックスしているように見える。今日も、序奏部のピアノ独奏を軽々とこなすと、後は指揮者の秋山和慶のタクトに目をやって、オーケストラの演奏するリズムに軽く身体を動かして、自分からこの曲に乗っていこうする。曲に乗ってしまうと、後は一直線。曲の中に溶け込んだ演奏となる。カデンツァのフォルテシモ部分では長い黒髪を振り乱しての演奏で、観る方が思わず固唾を飲んでしまう。

 最近は神奈川芸術協会のお得意様になったからか、座席のリクエストも非常にいい席をくれる。今日は前から6列目、真正面、やや左よりという、ピアノ協奏曲を聴くには最高の席を呉れた。左の写真は演奏者がステージに上ると撮影禁止になるので、その前に素早く撮ったもの。また、演奏の冒頭は、ヨハン・シュトラウスⅡの「蝙蝠序曲」なので、ピアノはまだ登場していない。

 指揮者の秋山和慶は見るからに紳士。だから、指揮ぶりには”炎のコバケン”のような派手さはない。が、要所要所をピチッと締める、堅実な指揮ぶりで、好感が持てる。本日のメイン、ドボルザークの「交響曲第9番」という、シンフォニーの中では打楽器と管楽器が大活躍する派手な曲だが、秋山流に一定の枠中に収めたような演奏であった。東京交響楽団は、昨年は殆どお目にかからなかった、ロシア人のコンマス、グレブ・ニキーチンが復活していて、弦が一段と良くなったように思う。






1月2日(木)

        

 明けましてお目出度うございます。今年の正月は、年末に鼻風邪をこじらせてしまい、大いにスケジュールが狂ってしまった。例年、娘たちと行く新田神社への初詣は中止。元旦も1人で過ごす寂しい正月となった。正月のお鏡などの飾り物はなし、お節料理もなしで、正月の雰囲気もない。しかも、年賀状も未だ書いていないという有様。せめて、正月らしく、今日は金子一家を招いて、昼にスキヤキ・パーティを持った。

 2人の孫のうち、ハル君は今年中学3年生。この春は高校受験とあって、お家で留守番(勉強している筈だが…)、ナオ君、麻子夫妻、それに淳子がやってきて、スキヤキパーティとなった。このスキヤキの材料も、昨日は何処のスーパーもお休みで、今朝になって東武ストアで買い求めたもの。OKストアは3日まで休みで、麻子ご所望のA-5の黒毛和牛は買えなかった。東武ストアの「出雲和牛」は格から言えばA-3クラスだが、まぁまぁ合格圏にあって結構美味しかった。

   


【訃報】高徳芳忠さん

 正月早々、訃報で恐縮だが、母方の従兄・高徳芳忠(タカトク・ヨシタダ)さんは以前から私の実の兄のような存在だった。高徳の従兄弟の中では元気印だった。が、昨日・元旦の朝に倒れ、午後には心肺停止状態となり、亡くなったという。息子の真人(マコト)君によると、悪性リンパ腫の検査を正月明けに受けることになっていたという。享年83。故人の御冥福を心からお祈りします。
写真は、2012年4月、櫻7回忌法要のとき。多摩川河畔の桜の前で、芳忠兄と。4女・康子撮影。

 









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これまでの「介護日記」を別ページに掲載します。下記をクリックして下さい。

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2007年1月~12月分の日記を別ページに掲載します。下記をクリックして下さい。

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2006年1月~12月分の日記を別ページに掲載します。下記をクリックして下さい。

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2005年1月~12月分を別頁にまとめました。下記をクリック願います。

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2004年1月~12月分の日記を別ページにまとめました。下記をクリックして下さい。

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