4年あまり続いた「介護日記」は、妻の死を以て終えることとした。
 本日より、タイトルを新たに「介護日記ーその後」とし、自由日記スタイルで生活の記録を留めようと思う。また、妻がこの世に存在した証をアピールするため、我々夫婦の生き様をテーマに私小説に挑戦することにした。仮題を「白い闇」と名付けたが、これは私の自分史でもある。「白い闇」は毎週月曜日に掲載の連載小説となる。(2008年4月21日)

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尚、このページのBGMはアクエアリアス氏のアルバムから、この日記のスタートに因んだ「春」のテーマとして、私の好きなベートーベンの6番「田園」の2楽章を借用した。



                  
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2019年(令和元年)


9月16日(月)

 今日は、「みなとみらいホール」のコンサートに出かけた。朝からの雨模様で、久し振りに「多摩ちゃんバス」で駅まで。月曜だが、3連休の最終日、会場は大入り満員で入口には長い列ができたいた。出し物は、「オール・ラフマニノフ・プログラム/熱狂!ラフマニノフ」とあり、全曲のピアノを及川浩治が弾く。オケは神奈川フィル。驚いたことに、オケのコンマスには石田泰尚が居た。2日前、初のリサイタルで熱演、アンコールに5曲も弾いた直後だ。自分が休んでも、副コンマスの崎谷直人がいる。ゆっくり休めばいいのに。意外と猛烈楽団員なのだと印象を新たにした。

 本日の演目は、「パガニーニの主題による狂詩曲」、「ピアノ協奏曲第4番ト短調」、「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」の3曲だ。最初の「狂詩曲」というのは、初めて聞く曲で、オケだけの演奏だろうと思っていたが、内容は変奏曲形式によるピアノ協奏曲で、演奏時間も25分。協奏曲と変わりない。しかも、途中にPn協奏曲第2番の主要テーマのひとつが、カデンツァ部分を含めそっくりそのまま挿入されているのにはチョット驚いた。つまりは、協奏曲の大曲3つのソロを及川浩治が1人で弾くことになる。

 前半に2曲、後半がお目当ての第2番だ。この曲の作曲前、ラフマニノフは交響曲に挑戦、第1番を世に出したが、その初演が周囲から散々な不評を買った。大きなショックで暫く作曲ができなかったといわれる。失意のどん底に居たラフマニノフを励ましたのは、精神科医のニコライ・ダール。「あなたは、素晴らしいピアノ協奏曲を書くだろう」と告げられて書いたのが「協奏曲第2番」だった。

 自身偉大なピアニストだったラフマニノフの作品には、どうしてもピアノの印象が残る。後に、交響曲第2番を発表して、この時はそれなりの評価を得た。が、素晴らしい曲だがなにか足りないものがあるとの声も強く、彼の死後、彼のサポーターたちが交響曲第2番を編曲して「ピアノ協奏曲第5番」を作ったというエピソードもある(詳細は、この日記の2018年8月9日に詳しい)。

 本日の及川浩治演奏の「第2番」も凄まじい迫力。fortesimoの連続で鍵盤を叩かれる Steinwayのピアノが可愛そうになるほどだった。及川浩治、脂の乗り切った50歳。今後の活動にも大いに期待している。



9月14日(土)

 今月初めてのコンサート。今日は「ミューザ川崎」で、売出し中の石田泰尚のヴァイオリン・リサイタルだ。石田は神奈川フィルの正コンマスだが、それ以上に”硬派のヴァイオリニスト”とか”カリスマ・ヴァイオリニスト”といった形容詞がついて、ここ数年人気を上げてきた。見るからに”ヤ”の字の親分といった風貌に、最近では丸坊主の頭にソリで模様まで書き込んでいる。そして、石田組なるアンサンブルを結成し、自ら組長と名乗っている。

 ところが、カタギの人とは思えない風貌とは裏腹に、本人はとてもシャイで、弾きぶりは真面目そのもの。しかも素晴らしいテクニックの持ち主だ。出身は国立音大で、主席で卒業したという。その見かけとのアンバランスが魅力のひとつとなっているようで、オケとは離れてソリストやアンサンブルとして引っ張りだことなっている。今日は、その石田が初めて開いた単独のリサイタルだ。プログラムは本人が意識して選んだのだろう、ポピュラーなものは殆どない。

・ドヴォルザーク 「ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ・ト長調」
・フランク      「ヴァイオリン・ソナタ・イ長調」
 --------------------------------
・クライスラー   「ブニャーニの様式によるテンポ・ディ・メヌエット」他小曲2曲
・ピアソラ      「アディオス・ノニーノ」
           「フラカナーバ」
           「天使のミロンガ」
           「現代のコンサート」
           「ル・グラン・タンゴ」

 本日のプログラムを終えてからのアンコールがまた凄い。「トロイメライ」、「麗しのロズマリン」に始まり、「ジェラシー」に至るまで10曲ほどの小曲を次々と弾き、マイクを持って丁寧に挨拶した。

 この石田泰尚というヴァイオリニストは、なかなかのエンタテーナーでもある。県民ホールで年末にある「オペラ・ガラ」では、毎年、テノール歌手の宮本益光との掛け合いが実に面白い。今年も楽しみだ。

   

 上の写真は、ミューザ川崎のホール入口でいつも見かける野外ライブ。音楽好きの若者たちがここで自分たちのパフォーマンスを見せる。右側は、中秋の名月を撮ったのだが、あまり冴えない写真となった。素人が撮るとこの程度だ。

【訃報】 松尾 高精 さん

 9月14日(土)朝、 肺炎のためご逝去。享年88。
松尾 高精 さんは、西華産業の元・会長、社長。私たち家族がデュッセルドルフ時代に西華産業/ドイツ社の社長をされていた。妻が松尾さんの奥様にとてもお世話になった。日本人学校では、先方の長男・毅くんとウチの淳子が同学年であった。
 また、日本に帰国後も松尾さんにはお世話になった。松尾さんは京王線の府中にお住まいで、「桜ヶ丘CC」のメンバーだった。当時、機械の専務だった新谷栄資氏と私をよく桜ヶ丘CCに招待していただいた。そんな時、私は高幡不動にある新谷家まで車で迎えに行き、一緒にゴルフ場に出向いた。
 お互い、第一線を退いてからも、年に一度、「デュッセルドルフ会」という集まりを持った。西華からは松尾さんと山田正春さん、UBEからは浅野正之さん、中村哲則さん、それに私がメンバーだった。昨秋、この会でお目にかかったときはお元気の様子だった。
 通夜は9月21日、告別式は22日、府中の森市民聖苑(せいえん)第3式場で行われる。私は、告別式に参列する積もりだ。(以上、山田正春氏からの連絡による)



9月12ー13日(木・金)

 12日朝、マンションの電気工事の影響からか、突然、PCがダウン。以前から、マンション電気工事の後、インターネットが繋がらないことがよくあった。そんな時は、モデムの電源コードを一旦抜いて、差込口を半回転させて差し込んでやると繋がるようになる。どういう理由でそうなるのかは全く分からないが、とにかくそれが、以前、管理人から聞いた”ノウハウ”だ。そのノウハウに基づいて、電源コードを抜いた途端に、PCがダウン。誤って、PC本体の電源コードを抜いたらしい。

 その状態のまま小休止すればよかったのだが、慌ててアチラコチラを触ったためか、PCの電源が入らなくなってしまった、要は、電源スイッチを押しても何も起こらない、PCは死んだままだ。このままだと、メールは使えない。入電したメールをも見ることはできない。HPはもちろん更新できない。それだけでなく、雑誌に投稿する原稿すら作成できないのだ。目の前が真っ暗!

 取り敢えず、配線などはそのままにして、体操教室に出かけた。帰りに、東雪谷の喫茶店で渡辺弘子先生(以前の「東急BE文章教室」の先生)と会って、次回の「四季の会」に出席願うための下打ち合わせをもった。その後、買い物をして帰宅した。恐る恐るPCの電源を入れて、マジナイを唱えながら、エイヤッとスイッチを入れると、モニター画面が光りだした。ラッキー! 復活したのだ。

 金曜日は淳子が来訪。また、A5黒毛和牛カルビを買ってきて、焼き肉にした。夜は、阪神 vs. 中日のTV中継を観たが、久し振りに打線が好調で7-1の圧勝となった。

写真は、ガーベラと白のリンドウの組み合わせが良かったので買ってきた生花。仏壇横に飾った。



9月8-9日(日/月)

 淳子が土曜日にやってきた。先週は来なかったので久し振りに朝食を2皿作った。1人分だと使わない、梨、アボガド、巨峰などが皿の上を飾るので、見栄えも良くなる。

 この時期、桃が終わってメインの果物は梨だ。それに、巨峰がそろそろ登場する。淳子はアボガドが好きなので、色彩的にはブロッコリーとアボガド、同系色のグリーンが主体になる。本当は、オレンジを加えたいのだが、北半球のものはなく、どうしてもオーストラリアものしかない。オーストラリアの柑橘類は、甘みが少なくどうもいただけない。だから、南アフリカもののグレープ・フルーツを使う。

 ハムは鎌倉ロースハムを張り込むので、淳子が来ると、どうしても高級朝食になる。

 テレビでは大型の台風が来ると朝から騒いでいる。15号台風だ。というわけで、淳子も朝少しケンゾーと遊んで早めに帰っていった。関東を直撃する台風は今年初めてだ。この台風は風が凄いというので、ベランダの鉢植えなどは、一応、全部台から下ろした。夕方頃には風雨が強くなってきた。確かに、風がハンパないといおうか、とにかくキツイ。羽田空港では、観測が始まって以来の新記録47mの風速を記録したという。

 夜になるとますます風が強くなった。ガラス扉は、3年ほど前、マンション全体が2重ガラスの頑丈なものに取り替えたので心配ないが、ひょっとしたら網戸は飛ばされるかもしれないと心配した。夜は早めにベッドに入ったが、なかなか眠れず、ウトウトしていたが、3時頃に目が覚めてしまった。テレビを点けるとあちらこちらで大きな被害が報告されていた。風で飛ばされた、工事中の足場が倒れた、といったものが殆どだ。最大瞬間風速が60mにもなったというのだから、それなりの被害は免れないだろう。

 明け方の5時前頃にまた眠ってしまった。今度目が覚めたのは9時前だった。ケンゾーが早く鳥篭のカバーを取れ、と騒いでした。
 
台風一過の多摩川では、川の水位がかなり上がって、もうすぐ河川敷に溢れ出さんばかりになっていた。西の空にはスッピンの富士山が珍しく全貌を見せていた。川辺の小さな木がが風で押し倒されたようになっているが、特に被害はなさそうだ。

 テレビでは、各地の被害状況を映し出した後、台風一過の今日も、東京地方では、36℃の猛暑日になるでしょう、と報じている。過ぎたはずの猛暑が復活してきたらしい。暑いのは嫌だ、嫌だ。



9月6日(金)

 今日は夕方に神戸高校同期のOB会有志の集まりがある。その前に、最終日が近くなった、渋谷の「ヒカリエホール」で開催の「ねこかわいいだけ展」というのを覗いてみた。

 東横線の自由が丘でY女の乗る電車で合流。渋谷駅で降りて、ヒカリエ9階にある「ヒカリエホール」へ。新しくできた施設なので、エレベータの乗り場を探すのに苦労した。とにかく、渋谷駅は分かりにくい。もう何年も前から工事中で、完成までにまだ4~5年かかるようだ。何しろ、来る度に様子が変わっているので、何処に何があるのかさっぱり覚えられない。

 9階の「ヒカリエホール」はイベント会場だが、広いホールの大半を使っての展覧会。当日の入場料は800円もする。会場にはネコをテーマとした、写真、絵画、造形などがたくさん展示されていた。中身的にはそれほど盛り上がるものはなく、今年3月に「Arts Chiyoda」で観た「ねこのひょっこり展」の方が充実していたように思う。
ただ、絵画や造形が展覧会に変化を演出していたように思う。

 もう少しゆっくり観たかったが、次の予定があるので30分ほどで、ヒカリエを後にした。

  

  

 「ヒカリエ」は東横線の渋谷駅に隣接して建てられているので、JRの渋谷駅までが遠い。肺の弱者には苦痛だ。夕方の4時に神戸高校11回生・同期の有志が、大崎「ニューオータニ・イン」の「舟茶屋」に集まることになっている。メンバーは6人、男が4人、有岡、才木、平田、私、女が2人、オナガとY女だ。我々同期生は東京地区に70人ほど居住していて、「神高イレブン東京」と称している。その会長がオナガだ。

 実は、この春にオナガの一人息子が病気(過労死?)で亡くなった。享年47。オナガは落胆の余り暫く立ち直れなかった。それが、最近になって漸く復活してきたというので、有志で集まって「励ます会」を開いたという次第。Y女と私以外は、オナガを含めて酒豪ばかり。ドンドンお酒も進んで、オナガもすっかりマイペース。とてもよく喋った。「励ます会」の目的は十分達成されたと思う。



9月4日(水)

 夜に、新宿 NOWAビル8Fの「響」で「UBE41会」つまり、昭和41年に宇部興産に入社した同期会があった。何時もは6~8名が集まるのだが、今日はどうしたわけか、11名が集まる大盛会。定例メンバー、 網谷、荒尾、荒木、大家、菊池、仲野、中村、吉永、渡部に加えて、元・社長の田村(浩章)、初参加の寺田(一萬士)の諸氏が加わった。

 これだけ集まると、一つの話題で全体が盛り上がるというよりは、3グループほどに分かれて、別々のテーマでの会話が主流となる。次回は、12月3日に「忘年会」という趣向で集まることにした。

 



9月2日(月)

 今日のメインは昭和大学病院での検査と診察だ。以前、呼吸器内科の楠本先生に肺の弱者たる悩みを伝え、何とかならないのかと投げかけたところ、一度、循環器の方も検査してもらおうということになり、今日は心臓の検査が色々と入っている。

 何時もとは早い目に12時半ごろ、病院に着いた。先ず、肺のレントゲンだ。これは、呼吸器内科の検診では毎回やっているので勝手もよく分かっている。スイスイと終わって、問題の心臓関係のテスト。その前に、そもそも私の身体の成分はどうなっているのかを測定する「体成分分析」(通称「体液検査」)というのがあった。

 人間の身体を化学的な観点から分析すると、大きく、体水分・タンパク質・ミネラル・体脂肪の4つの成分に分けられる。その中で体重の約50~70%を占めているものが体水分だ。タンパク質は体水分と共に筋肉の主な構成成分であり、ミネラルは骨を構成して体を支える役目をする。体脂肪量は使いきれなかったエネルギーの保存量だ。

 In Body という装置で測定した私の分析値は以下の通り。
・体水分量    29.6 lit.
・タンパク質量   7.8 kg
・ミネラル量    2.99 kg
・体脂肪量    21.2 kg

 その結果、何が分かるかというと、以下の通り。(まぁ、大体想定通りというところか)
・体重調整: 体重61.6kgは要10kg減
・栄養評価: タンパク質、ミネラルは良好、体脂肪量は過多
・肥満評価: BMI 26.4は過体重(ひどい過体重ではない)、体脂肪率は肥満
・筋肉均衡: 上半身は均衡、下半身も均衡、上下均衡も均衡 以下、更に細かい分析結果が出ているが省略。
・In Body 評価点数: 63/100点

 その後、心電図、超音波(エコー)の検査があり、待合室で2時間近く待たされた末、最後は楠本先生の診察となった。検査結果を眺めながら、先生が言うには、
「当初、心不全などを心配したのですが、そういう兆候は見られません。となると、今の肺気腫が改善していくのを待つしかないということになります」

 心臓の機能に特に問題はないと分かったことはグッド・ニュースだが、肺の弱者の悩みは解消しそうもない。何せ、肺気腫が改善するというのは、百年河清を待つようなものだから…。


【訃報 金光 芳雄 さん】

 クモ膜下出血のため8月中旬(盆前)に逝去。享年68。(渡辺裕志氏の Face book 8月29日より)

 1974年(昭和49年)、一橋大学から宇部興産機械事業部に入社。能登半島出身の初々しい新入社員、時長クンだった。後に、渡辺裕志氏の奥さんの妹と結婚して姓を金光に換えた。ランタン義兄弟の誕生である。

 1983年、プラント営業第3部(私が部長を務めた)に配属となった。この時の一番の思い出は、ある日、新宿で開催中の「娯楽機械展」に彼を連れ出したことだ。どうして自分をこんなところに連れてくるのか、と訝っていたが、後に当時のソ連向けに「ジェットコースター製造プラント」の成約に漕ぎ着けたことで彼の私を見る目が変わった。そのことがあってから、彼は私をよく支えてくれた。
 
 もう一つの思い出は、1986年の4月。小金井の借り上げ社宅に暮らしていたとき、部の連中を呼んで、小金井公園で花見大会をもった。2次会を私の家でやったのだが、彼の連れてきたワルガキが、壁にかけられた私の大切なコレクション、マイセンの絵皿めがけて野球のボールを投げつけた。普通なら「コラ、なんてことするか!」と息子を怒鳴りつけるところだが、彼は「あっ、惜しい、ハズレタ。当たるまで投げろ」と叫んだのだ。この時、私は彼が、部下と上司という関係を脱して、彼流のやり方でグッと私に近づいてきたように感じた。

 私の退職後も、このブログの熱心な愛読者の1人として、時折、ウィットに富んだコメントをメールで送ってくれた。故人の御冥福を心からお祈りする。元気の良かった彼の想い出に2008年11月、プラントOB会に顔をだしたときのスナップを掲載したい。

追記:後日、同期の木下氏からの情報によると、盆前の8月11日に倒れ、意識不明に。盆明けの20日にご逝去。21日通夜、22日告別式だったとのこと。



9月1日(日)

 今年も、あっという間に2/3が過ぎてしまった。今日から残り1/3が始まる。昨日は、淳子が来るものと思って、夕食材料は買っておいたが、朝食用の梨とか巨峰といった値の張るものは買い控えた。1人用だと朝食サラダも高級食材は使わない。それと、バナナやキウイといった果物はひとつ食べるのは多すぎるので、半分を小鉢にとっておいて昼食用に食べる。昼食は、右写真のガラスの鉢の果物と菓子パンといった簡単なもので済ませる。

 猛暑の夏が終わると、芸術の秋、読書の秋…と、様々なアクティビティが待っている。コンサートも盛り沢山なものがあるが、書く方の仕事も増えてくる。この9月から「我が街かわら版」というこの地区のjミニコミ誌にもエッセイを書くことになった。また、大学のホームページに掲載するインタビュー記事や「とぴぐろ」のインタビュー記事も次々と控えている。

 更に、来月には宇部の市立図書館で「図書館祭り」というのをやるらしい。その一環として、講演会の予定があり、その講師の依頼を受けている。これから少し勉強しないと…。どうやら、今年も忙しい残り1/3になりそうだ。

 甲子園の巨人 vs. 阪神戦では、今日もタイガースが勝って、久し振りに巨人との3連戦を勝ち越した。嬉しいのは嬉しいが、タイガースを退団することが決まった鳥谷選手の去就が気になる。もしも、セ・リーグの球団に移籍して、タイガース相手にボカボカ打たれるようなことがあっては、鳥谷選手を嫌いになるかもしれない。それが怖い。私は大の鳥谷ファンなのだ。
参考までに、4年前に書いた「鳥谷選手」というエッセイを紹介したい→ こちら









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