4年あまり続いた「介護日記」は、妻の死を以て終えることとした。
 本日より、タイトルを新たに「介護日記ーその後」とし、自由日記スタイルで生活の記録を留めようと思う。また、妻がこの世に存在した証をアピールするため、我々夫婦の生き様をテーマに私小説に挑戦することにした。仮題を「白い闇」と名付けたが、これは私の自分史でもある。「白い闇」は毎週月曜日に掲載の連載小説となる。(2008年4月21日)

 「白い闇」(最終章)へ移動

尚、このページのBGMはアクエアリアス氏のアルバムから、この日記のスタートに因んだ「春」のテーマとして、私の好きなベートーベンの6番「田園」の2楽章を借用した。



                  


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2022年(令和4年)







7月31日(日)

 あっという間に7月も最後の日となった。今年の夏は殊の外暑い。地球温暖化とは関係ないと思うが、北関東では時として40℃を超える日がある。南関東の東京でも35℃を超える猛暑日になることもある。この猛暑の中、Covid-19の方は、BA・25と呼ばれるオミクロンから派生した新しいウィルスが猛威を奮っており、東京の1日当たりの感染者が4万人を超える新記録が出たりして、第7波が到来したとされている。病院の受け入れ態勢も大混雑で、熱中症で倒れて救急車を呼んでも引受先の病院がないので、直ぐに来てくれないこともあるようだ。

  一方、マンションの大規模修繕はかなり進んできて、バルコニーのフローリングも完成した。元あった人工芝は完全に剥がされ、グリーンのフローリングが、ライトグレイの樹脂のフローリングに替わってしまった。が、イメージ的には思ったほど悪くはない。その代わり、一つ悲しい出来事が…。フローリングの中央に置かれたボケの鉢を見ると分かるが、4月の初めにはあれだけたくさんの可憐な花をつけ、その後も新緑の葉で覆われていたボケの鉢植えが枯れてしまったようなのだ。工事中は一切陽の当たる場所に置くことが出来なかったからだろう。亡き妻が大切にしていた鉢植えだけに、この状態から再び緑の芽が出てくれると嬉しいのだが…。

 8月に入ると、また慌ただしくなりそうだ。ホームページ関係では、このブログのゲストブックを引き受けてくれていた "Tea cup"がサービスを停止する。これまで20年近くの間 Tea cup がゲストブックを記録してくれていたのだが、過去にまで遡る莫大なデータを保存するか、消去するかという問題が残る。保存するとすれば、Tea cup グループの業者にお願いする必要があるのだが、この業者は、”2チャンネル”を扱っていた業者らしいので、目下、どうするか思案中だ。

 それと、8月のイベントとして最大のものは、オーストラリアのアデレード在住の長女の恭子が、10日ほど休みを取って5年振りに帰ってくるのだ。今回は、亭主のニコラス君は同行せず、恭子一人で帰国するという。ファミリーパーティをやったり、神戸の中村家の墓参りをしたいというので、同行するかどうかいう問題も残る。

 左の仏花 2022-W35は、和菊とヒペリカムをメインに飾ってみた。フラッシュを炊いて撮ったら、カーネーションがハレーションを起こしてしまい何の花か区別がつかなくなっている。






7月25日(月)

 今日、第4回目のワクチン接種に行って来た。行先は「きはら整形外科」だ。1カ月ほど前、淳子に車椅子を押してもらって、風呂で転倒したことで、骨折がないか診て貰った、あの整形外科だ。第4回のワクチン接種を引き受けている医院は近くに3軒あった。第3回の接種をやってもらった至近距離の「難波メディカルクリニック」、皮膚科に通っていた「下丸子皮膚科」、それに「きはら整形外科」である。この中で、使う薬剤が”ファイザー”であると明言していたのは「きはら整形外科」だった。後の2カ所は”モデルナ”になるかもしれないような表現だった。モデルナは副反応が心配だ。過去3回、ファイザーを接種してもらったが、副反応は左手を挙げる時に痛みを感じる程度だった。

 今朝、9時過ぎに接種を受けて、現在、午後の11時半。約 14時間が経過したが、左腕に微かな痛みを感じる程度だ。4回目が一番簡単だった。


7月22日(金)

 待ちに待った山梨産の桃がスーパーの果物コーナーに出回るようになった。早速、朝食に採用したが、この桃のシーズンは、年によって色々異なるようだ。2年前、桃が初めて朝食に登場したのは、7月9日だった。(「こちら」) から7月月9日を参照)。ところが、昨年は月遅れの8月4日だった。(「こちら」)から8月4日を参照)。桃が出ると、次は幸水梨、それから巨峰と、私の好物が続く。この順序は、毎年、変わりはない。

 夜に淳子がやって来ると言うので、チョット変った料理を作ろうと、明日は「土用の丑」なので、今日産経新聞に出ていた「ひなちゃんパパの家族レシピ」に紹介されていた「うな玉」なるものに挑戦してみることにした。(→ こちら
メインの材料は「ウナギのかば焼き1人分」とあるので、東武ストアに買い物に出かけた。明日は土用の丑とあって、総菜コーナーの半分近くをウナギのかば焼きが占めている。中国産のものと鹿児島産のものが並んでいるが、中国産が 1,200~1,300円で、鹿児島産は1,000円ほど高い。思い切って、2,300円の鹿児島産の物を買った。後、何処にあるか不明な”鶏ガラスープの素”や、それにニラを一束買った。レシピにはニラ3本と書かれているが、何とも奇妙な分量だ。3人分で3本だから1人が食べる量は、ニラの茎1本ということらしい。ニラ一束は数えたことはないが、恐らく、20~30本ほどが一束になっている。その中の3本だけを使えと言うのだろうか。どうにも納得ができないので、独断と偏見で倍の6本ほどを3cmほどに切って、ボウルの溶き玉子に入れた。このレシピには、他にも納得できないところがある。そもそも、レシピのイラストだが、ひなちゃんパパが手にしているのは、スズキかカツオだ。どう見てもウナギではない。

 このレシピで一番問題となるのは、溶き玉子の中に2cm幅に切ったウナギと3cm長さに切ったニラを入れて、それをフライパンで半熟状態になるまで炒めるという箇所だ。実際やってみると、溶き玉子は、割合簡単に半熟状態になるのだが、その時、ニラは未だ生なのだ。だから、レシピ通り進んでも、いざ食べる時は、ニラだけが未だ生なのだ。キャベツやレタスなら生でも抵抗なく食べることは出来るが、生のニラを食べるのは抵抗がある。だから、結局、ニラを避けて、半熟玉子とウナギの蒲焼だけを食べることになるのだ。高い材料を使っても、半生のニラが入っているだけでウナギのかば焼きのうま味は消えてしまうのだ。これをやるなら、先にニラを油炒めして、軟らかくなったものを溶き卵の中に入れると、美味しく食べられるかもしれない。

 夕食の”うな玉”は、淳子の御期待には添えなかったが、その後の阪神 vs.DeNAの野球観戦は、先発の青柳が6回を1点に抑え、打っては、大山とサトテルのアベック2ランホーマーが出て、6ー3の勝利。淳子も大いに御満悦であった。

 右は仏花 2022-w34。前回の w33と大差ないが、アルストロメリアを増やして、こちらを主人公にしてみた。



7月17日(日)

 今日は、ZEN工場の美味しいロールケーキが特別販売される日。前回、1月23日に同じZEN工場のケーキの販売があって、ロールケーキ2本を買うことが出来た。詳細は、当日のブログ(→こちら ) から、1月23日の記事をご覧願う。その後、2度ばかりZEN工場ケーキの販売があったが、2回とも買いそびれてしまった。今日は、是非とも、ロールケーキをゲットしなければならない。販売時間は11::00~12:00。ケーキ大好きオバサンの淳子に話したところ、10:45頃に買いに行くと言う。私も、様子を見に行こうと、その頃に着くように、手押しカートを押しながら出かけてみた。先着組が5人程待っていた。その後で待つことにした。カートの椅子を出して座りながら待った。

 暫くすると、淳子がやってきた。話をしながら5分程待ったろうか。11時5分程前に販売が始まった。今日は、直ぐに順番が回ってきて、ロイヤルロールケーキと抹茶ロールケーキを2本ずつ買うことが出来た。1本は、我々が食べるが、ケーキ自体は冷凍されているので、冷凍庫で保管すれば4カ月は持つと聞く。8月には、長女の恭子がオーストラリアから一時帰国するので、その時に食べようと、1本ずつを冷凍保存することにした。

 売り場を離れる時は、未だ、11時になっていなかったが、10人ほどの行列ができていた。多摩川ハイムに戻った頃に、雨が降り出した。淳子がアパートに洗濯物を干してきたというので、ケーキを冷蔵庫の冷凍室と冷蔵室に分けて入れておいて、淳子を車でアパートまで送ることにした。淳子のアパートまでは、車で5分ほどの距離だ。往きに、先ほどの即売場の前を通ってみたが、売り場は既に閉鎖されて、行列も消えていた。店先には、「売り切れ御免」の札がかかっていた。未だ11時10分頃だった。アッという間に売り切れてしまったということだろう。そういえば、前回、12時前に買いに行ったら、誰も居なくなり、売り場には「完売御礼」の札がかかっていたことを思い出した。そうか、ZEN工場のケーキ即売会では、今日のように販売開始15分前ぐらいに行くのがいいのだ。ひとつ、学習することが出来た。

 淳子をアパートで下ろし、私はそのまま”東武ストア”に夕食の買い物に行った。夕方には淳子が戻って来るので、夕食の材料を買った。買い物が終わって、屋上の駐車場に上がったら、豪雨に変っていた。家に帰って、料理の支度を始めようとすると、淳子からラインのメールが入っていた。
「洗濯物はギリギリ降りだす直前に取り込むことができた。車で送って貰わなければアウトやった」とある。

 夕方、メインのおかず、”豚バラ大根”が出来上がった頃、淳子がやってきた。今度の月曜日は掃除のヘルパーさんが休みなので、ケンゾーの鳥篭の掃除をやってもらった。その後は、何時ものように、お風呂に入って、6時頃出てきて、夕食を食べながらのテレビの野球観戦となる。今日のゲームは「阪神 vs.中日」だ。5位と6位の試合だが、現在、せ・リーグの6球団は、首位ヤクルトの一人勝ちで、他の5チームはどこも借金を抱えている。所謂、”一強五弱”の典型となっている。ゲームの方は、阪神先発の助っ人ピッチャーのガンケルが8回を3安打、1失点の好投を見せ、阪神は1回に挙げた3点を守りきって、3-1の勝利。

 野球の後は、コーヒーを淹れて、ロイヤルロールケーキを食べた。そして、淳子は自分の分け前のケーキを袋に詰めて、鼻歌を唄いながら帰って行った。


7月15日(水)

 今日は午前中、「ひかりホームクリニック」の廣石先生、第2回目の診療訪問があった朝から寝室兼書斎でPCに向かっていると、訪問診療のことはすっかり忘れて忘れてしまっていた。普通、家にいる時には補聴器をつけないので、廊下の突き当りのリビングにあるピンポーンのモニターの音は聞こえない。
書斎の固定電話が、突然、鳴り出したので受話器を取った。
「もしもし、ひかりホームクリニックの廣石ですが、入り口のチャイムを押しているのですが、ドアが開きませんが…」
「スミマセン! 直ぐに空けますので、もう一度、チャイムを押してくださいますか」と応えるとともに、リビングに飛んで行った。

 モニターには、廣石先生の顔が映っている。急いで、モニターの”通話”と”開錠”のボタンを同時に押しながら、「スミマセン。どうぞ」と話しかける。モニターの廣石先生が入り口のドアの方に移動したのを見て、今度は玄関に急いで、玄関のドアを開けてエレベータの方を見る。2階、3階…5階、6階と表示が変り、7階で止まってエレベータのドアが開く。聴診器を胸にぶら下げたままの廣石先生がエレベータから出てこられた。
「どうも、すみません。寝室に居てチャイムの音が聞こえなかったものですから」
「それは構いませんが、下に車を待たしているので、早く診察を始めさせてください」
「ハイ、分かりました。こちらへどうぞ」
 リビングに案内すると、冷えたお茶を冷蔵庫から出そうとすると、
「それは、結構です。先ず、血圧を測らせてください」と、血圧計を出して、右腕にベルトを撒き、圧搾空気のボタンを押す。徐々に腕に圧迫を感じながら、測定結果を聴く。
「120の93ですね。少し低血圧ですね」
「若い時から低血圧で、90の60位でした」
「つぎは、血中酸素濃度を」とパルスオキシメーターを出されたので、右手の人差し指を差し入れる。
「98ですね。全然問題ないです」メーターの数字をこちらに示しながら仰る。確かに、これまでは93~95だった値が、98まで上がるのは珍しい。

 その後、前回採血した血液検査の結果を記録した紙を何枚か拡げて説明された。前立腺がんのマーカー PSAは0.163で問題ない。橋本病のマーカーTSHは5.71は少し高いが昭和大学病院での測定値もこの程度だった。
後、肺がんのマーカー CEAの数値がブランクになっていたので、次回からはこれの分析値も知りたいとお願いした。その他、簡単の問診があった後、次の患者さんの所に急ぐのだろう、そそくさと帰って行かれた。

 夜は、何時ものように、淳子がお風呂に入ってから、ナイター観戦をしながら夕食。

 右は、仏花2022-w33。前回のカーネーションとガーベラだけは残して、アルストロメリアやヒペリカムそれに和菊を少々追加した。



7月9日(土)

 昨日は臨時ニュースで大騒ぎになった。安倍元首相は、あの後、ドクターヘリで県立病院に運ばれた。これで一命は取り留めるだろうと安堵したのも束の間、5時の時点では、死亡が確認された。安倍元総理を背後の至近距離から自製の銃で狙撃した犯人の山上某は、直ちにSPに取り押さえられたが、この際、今回の暴挙の背景を詳細にわたって明るみに出してもらいたい。色々な人が種々の解説をしているが、私が最も注目したのは、国際政治学者の藤井厳喜氏の解説だ。ダイレクト出版が、それをビデオにまとめているので、それを観てほしい。問題点を8項目の観点から良くまとめて説明していると思う。何時まで、このビデオにアクセスできるのかは不明だが、一応、お知らせしておく。→ こちら

 右の花は仏花 2022-w32。派手な花の後なので、花としてはガーベラとブバリアだけ。ブバリアは可憐な花だが、原産地はアメリカの熱帯地方。花言葉は、「交流」、「空想」だとか。




【お詫び】

 私のブログを続けていく上で、過去のものは、月単位にまとめて各月のブログの末尾に「過去のブログにアクセス」するためのテーブルを作成してきました。しかし、今年に入ってからは、例えば、2月へのアクセスが3月の記事に繋がったり、4月へのアクセスが5月の記事に繋がってしまうといった不備が目立つようになりました。これは、HPを作成する上では”故障”の一つです。どうしてそうなるのか、私には分かりません。恐らく、私の脳内のファンクションが、「健忘症」から「認知症」に移行しつつあるのではないかと判断されます。

 イメージとして言えば、私は、目下、「健忘症の島」から「認知症の島」に渡る吊り橋をゆっくり歩いているのです。そして、前方の認知症の島への入り口の標識がだんだんと大きくなってきているのです。認知症の島に渡り切ってしまえば、恐らく、このブログを続けてることは出来なくなると思います。しかし、20年近くにわたって続けてきたブログの故障がそのまま残ってしまうのは、甚だ残念なものがあります。そういうわけで、これまで続けてきた「過去のブログにアクセスするためのテーブル」を廃止して、月単位にまとめることを断念することにしました。

 従って、私のブログは、”日”単位で新しく更新していき、その年が終わるまで続きます。年替わりも同様に続いていきますが、年末と年始の区切りは明確にするつもりです。どうか、これまで通り、私のブログをご愛読下さるようお願いします。

 ここまで書いてきたところで、私のスマホから緊急のベルが鳴りだしました。現在、7月8日(金)の正午です。スマホは臨時ニュースを伝えています。 「安倍元総理が奈良の西大寺駅前で、選挙演説の途中、背後から銃のようなもので撃たれ、心肺停止で救急車で運ばれた」という内容です。テレビの報道を観るため、ブログはここで一旦お終いにします。



6月29日(水)

 今月の22日のブログで少し触れたが、今日、在宅診療医の廣石拓真先生が、第1回の診療に見えた。廣石先生は、2014年に新潟大学医学部を卒業され、船橋私立医療センター、大森にある東京労災病院に勤務されていた。未だ30代後半の若い先生だ。専門は呼吸器内科。病院の勤務では、患者の思いと病院側の方針が食い違うことが少なくなく、歯がゆい思いをさせられた。

 この度、病院勤務ではなく、「ひかりホームクリニック」の院長として、訪問診療に専念するにあたり、患者さんの希望をなるべく叶えるような診療を心掛け、ご家族にも寄り添った医療を提供していきたいとの抱負を持っておられるとのこと。

 これまで、昭和大学病院の処方箋に基づき、武蔵新田駅近くの山崎薬局で薬を購入していたが、従来と同じ薬剤を廣石先生の処方箋により、糀谷調剤薬局が配達に来てくれるとのこと。そうなると、病院に行くこともなく、薬局に薬を買いに行く必要もなくなる。今日の第1回診療では、聴診器による触診とパルスオキシメーターによる血中酸素濃度の測定などがあった。血中酸素濃度は「96」と健常者並みの数字が出た。

 また、昭和大学病院で7月1日に予定されていた、橋本病のマーカーを分析するための採血もやってもらった。

 右は、仏花(2022-w30)は、仏花(2022-w26)に、新しく、ヒマワリを追加したもので、もうすぐ真夏の到来を告げる構図にした。

【訃報】 池川 信夫 さん/元 新潟薬科大学学長 5月12日午後、病のため 享年95(ウェブの記事で見つかった) 

池川さんは、「ユーモアスピーチの会」の仲間。長い付き合いの中で、最も想い出が深いのは、2007年3月のこと。児玉麻里さんがポーランドの元大統領・ワレサ氏を民間外交で、日本に招聘したことがあった。その時は、日本側の受け入れ態勢は委員長が池川さん、副委員長が私という立場だった。
ポーランド大使館でやったパーティで、偶々参加していた洋画家・堀本恵美子さんとのツーショットを撮ってあげた。また、最後のサヨナラパーティの時に、私も仲間に入って撮った写真を紹介する。



 池川さんは、もう10年近く前のこと、新形薬大の学長を退任して、奥様の早苗さんと2人で、奥様の出身地、伊豆の伊東に転居されてしまった。今回、ウェブ上で御主人の御不幸を知って、奥様の早苗さんんお悔やみのメールを差し上げたところ、下記のような返事が来たので、此処に紹介する。
≪メールありがとうございます
かれはとっても良い人生を送ることができたと思います
伊東がとっても気に入っていましたし我が家は町のど真ん中
とっても便利な所にありましたので大いに満喫されたと思います
さいごまでボケずにいました  有難うございます    早苗≫


6月25日(土)

 今朝、10時から多摩川ハイムの管理組合総会が開かれた。此処の管理組合では4月―3月の会計年度をとっており、6月の総会は、会社で言えば株主総会に相当する。私は2020年度(第39期)の管理組合理事長、2021年年度(第40期)の副理事長と2年に亘って、組合の役員を務めたので、今日が最後のお勤めとなる。総会でも、大規模修繕の一環として計画した玄関扉の付け替えに関することに議論が集中して、予定の2時間を過ぎてもなかなか終わらない。

 一番前の席に座っている私には、補聴器をつけていても皆さんの討議は2~3割程度しか聞き取れなかった。今日は、家ではダクト清掃というのがあって、台所、トイレ、浴室のダクトの大掃除が行われている。土曜日なので淳子がやってきてこちらの担当をしてくれているが、そちらの方が気になる。午後の1時頃に総会は漸くお開き。急いで家に帰った。

 4~5人の作業員による作業が未だ続いていた。狭いキッチンに作業員の男が3人も入って作業していると、流石にギョッとする。


6月23日(木)

 今日は第4木曜日で「四季の会」がある。このところ、会場は横浜「みなとみらい」の”オーシャンゲートビル”に固定してしまったようで、今日もオーシャンゲートビルの8Fに出向いた。ここは、We work のロビーのようなところ。「We work」とは、起業家向けにコワーキングスペースを提供する、米国 Hew Yorkに本社を置く企業。詳しくは→ こちら

 四季の会の会員の一人、S女が借りているオフィスの会議室を利用させて貰っている。このビルの8Fは、丁度ホテルのロビーのようなところで、此処で訪問先のオフィスのスタッフ(我々の場合はS女)と連絡を取り、迎えに来てもらう。今日は、どういうわけか、ロビー全体がセミナールームとして使われていて、「台風に関するセミナー」らしきものを開いていて、30人余りが聴いていた。

    

 暫く待つと、S女が迎いに来てくれて、10Fにある彼女のオフィス・スペースの向かいの会議室に入る。私が一番乗りだったようで、案内してくれたS女は、私を会議室に置いて自分は自分のオフィススペースに引き揚げる。私は、ロビーで頂戴したカルピスソーダと来るときコンビニで買ったサンドウィッチを出して、軽い夕食を食べる。8Fのロビーでは、空港のラウンジのように、各種ドリンクをセルフサービスで頂戴できる。だから、後から来る連中は例外なく片手にビールジョッキをしっかり握っている。

 やがて、M氏とN女が現れて、先ほどのS女も加わり、4人が揃った。最近の定例出席者である。本日の課題は「石・Stone」。私は、当初、先日の脱衣室転倒事件を書く積りだったのだが、課題の石が引っかかって文章が進まず、代わりに4月末に多田周子さんを三鷹に案内した一件を写真入りで7枚の大作にまとめた。合評会でも皆さんから好評を頂戴した。特に、最後に添付した多田周子のブログ記事が話題を呼んだ。
作品は→こちら


6月22日(水)

 そろそろ、お中元の季節になる。早速、一番乗りの到来ものは、何と、宇部の”一久ラーメン”だった。一休ラーメンは「宇部新川駅」の直ぐ近くに食堂があり、お土産商品としては「一休食品」のチェーン店で販売している。通販では、楽天でも扱っているので、東京からでも発注できる(→ こちら)。”知る人ぞ知る”宇部の人気土産でもある。現役時代、宇部に出張するときには、一久ラーメンを食べるのがささやかな楽しみでもあった。毎回、これを送ってくれるのは、以前、東京の大田区で学習塾を開いていたO氏の奥さんだ。私は、その学習塾で5年ほど、常勤講師として英語と小論文を教えていた。

 一久ラーメンは地元でも人気のラーメンで、最近はクール宅急便で北海道と沖縄を除く、日本各地にまで配達することができるようになった。お味の方は、博多ラーメンによく似た豚骨ラーメンで、私は好きだ。これを6包み送ってきたので、2包みを淳子が持って帰った。この日は、早速、夕食に1包みを頂戴した。懐かしい宇部の味だった。

 午後には、「光ホームクリニック」という医院から、相談員の方が訪ねてこられた。ケアマネの淳子が手配したのだ。私が終末期には、病院ではなく、在宅診療を希望していると知って、候補の医院を紹介してくれたようだ。このクリニックは、蒲田にあって、医師が定期的に患者の自宅を訪問して、診察、処置、健診などをやってくれる。だから、現在、昭和大学病院に通うことが億劫になってきているので、このクリニックに全面的に診て貰うようになれば、昭和大学病院に通う必要もない。

 同時に、淳子の狙いは、昭和大学病院への通院を止めさせておいて、車の運転も卒業させようというところにもあるようだ。私も、高齢者の事故が多い現状に鑑みて、何時までも車の運転を続けることは出来ないことは認識しているので、当分、淳子の計画に乗っかってもいいかな、という選択肢も視野に入れている。今月の29日に、第一回の診療が予定されているので、先ずは、診療に来る医師と少し話いてみようと思う。

 左の写真は仏花2020ーw26は、前回のベニバナとカーネーションを残して百合の花を新しく加えたもの。白百合が大きく開花すると、周辺が明るくなったような気がする。





6月18日(土)

 今朝は、、先ず、近くの木原整形外科に行く予定だった。この医院は何時も大変込み合うので、10時までに受け付けてもらうのが効率的だ。淳子は9時半頃やってきたので、即、出発。妻が脳出血の再発で入院するまでは、妻の車椅子を押して、随分、各地に出かけた。麻子の結婚式では、会場のサイパン島までも妻の車椅子を押しながら出かけた。日本国内も、新婚旅行で訪ねた鹿児島の指宿温泉や、更に、その先の沖縄までも出かけた。そして、沖縄ではハンディキャップへの扱いが本土よりも遙かに進んでいることに驚かされたこともあった。当時、私は車椅子の扱いのベテランだった。散歩の途中、階段を降りる時や踏切を渡る時にも、心得たもので、必ず後ろ向きになって車椅子を押すのではなく引く形で進んだ。

 そんな私が、今日は車椅子に乗って、我が娘が車椅子を押す。半分恥ずかしいような、嬉しいような、複雑な思いで木原整形外科に出かけた。先ず、予想外だったのは、車椅子の乗り心地だ。車椅子の妻を見ていると、とても楽チン!という感じに見えたが、実際乗ってみると決して乗り心地は良くない。ガタガタ揺れるし、安定性はよくないし、病院の廊下を看護師さんに押してもらっているような感覚を想像していたが、何だか裏切られたように感じた。で、木原医院では、効率よく受け付けてもらい、殆ど待つこともなくレントゲン撮影も終わった。結果は、「大丈夫です。キレイな骨です。骨折はありません」という先生の診察結果を聞いて安心した。

 今日は、お昼に3女の麻子の長男、ナオ君がやってきた。今年の4月に、サラリーマンとなったナオ君は、鶴見にある東芝の独身寮に暮らしている。鶴見はJRの京浜東北線で蒲田まで2駅。休日にはやってきて、私のPCの先生をやってくれる。明日は「父の日」ということで、淳子がお昼に「銀のさら」のお鮨を取ってくれた。因みに、「父の日」ということで、後日、長女の恭子からは朝食用のハム、ソーセージの詰め合わせ、四女の康子からは夏物の帽子を頂戴したので、この場を借りて紹介させてもらう。

             
  

6月17日(金)

 甚だお恥ずかしい話だが、一昨日の夜、入浴しようと風呂場に入ったところ、バスタオルをリビングに置いてきたことを思い出して、一旦、脱衣室に戻った。そこで、ツルリ!、ドスン‼、ゴッツン❣ 脱衣場の床(リノリウム床)に水が落ち、ツルリと滑って、風呂場の入り口の柱に右腰の後部を強打した。鋭い痛みで暫くは起き上がれなかった。5分も経っただろうか、漸く、少しは動けるようになったので、そのまま寝室に戻って、裸のままベッドに潜り込んで寝た。

 翌朝、目が覚めても未だ腰の痛みは残っていた。取り敢えずは、湿布薬のパテックスを貼り、その日予約の入っていた林歯科医院にキャンセル電話を入れるとともに、午後からの体操教室も茂ちゃん先生にお休みのメールを入れた。近くに住む次女の淳子には、Lineで連絡を入れた。流石に、ケアマネジャーをしているだけあって、やることが速い。先ずは、骨折があるかどうかを検査することが第一だとのことで、早速、車椅子の手配をしてくれた。

 午後には、上海のKi氏と横浜のKa氏と3人で月に一度のリモート懇親会。この時も浴室で転んだことが話題になって、御両人からも種々心配と励ましの言葉を頂戴した。Ki氏によると、上海ではロックダウンは解除になったものの、外出しても殆どの店は閉まっていてやることもないので、殆ど家の中に居るとのことだった。

 夕方には、ピッカピカの車椅子が届いた(右写真)。明日の午前中に、淳子に押してもらって、近くの整形外科にいくことにしている。
  



                             



6月14日(追)

 先ほどのブログで、8月に長女・恭子がオーストラリアから一時帰国すると書いたが、その恭子が、最近、あちらで我が家の家系からは信じられないことをしでかしているので、忘れないうちに書きとどめておきたい。

 先ず、去る5月21日(土)、Coober Pedyというアデレードの北、900㎞のところにある町で行われた、砂漠道路のど真ん中を走るマラソン大会に参加し、なんと!総合3位、女子で1位を獲得した。このマラソン大会は「The Great Kanku Breakaway Marathon」と呼ばれているもので、毎年、各地からマラソン愛好者が集まって行われる。毎年、その結果はウェブ上で公表される(去年の大会の結果は→ こちら)。今年の結果を下に示す。 



 3位の欄にある「Kay Nakamura」というのが、中村恭子のことで、記録の4時間10分29秒76は、昨年5位(女性1位)のKINDNESSさんの記録、04:15:21.69と較べても恭子の方が5分も速い。

 その快挙があって、3週間後の6月11日、今度は、地元アデレードで行われた”Summit to Sea(「頂上から海へ」)というレースに参加して、今度もまた優秀な成績を収めた。このレースは、42.2kmのフルマラソンではなく、山の頂上から海まで約35㎞の山道を一気に走り降りるトレイル・レースだ。今回の成績は、総合で63人中9位、女子で14人中2位というもの。それにしても、普通のマラソン選手なら、一度、フルマラソンを走った後は、数か月はレースに出ないと言われるが、3週間しか経たないのに、再びレースに参加して、今度も優秀な成績を納めるという快挙。この健脚のDNAは一体何処から来たのだろうか。中村家にも妻の実家、棟上家にも健脚と言われるような存在は皆無である。矢張り、本人の練習の賜物なのだろう。因みに恭子は自分のブログに次のように書いている。

「ちなみに Kayは、疲れている時こそ無理してでも走ります。疲れているからといって家にこもってると、余計に気分が落ち込むってもんさ。これが Kayの健康法-少なくとも、精神的に。」

 以下は左から、Coober Pedy での女子の部・優勝商品、砂漠の道を走るKay、女子の部で優勝した時の記念写真、Summit to Sea で女子の部2位のシルバートロフィーを手にして


     


6月14日(火)

 長い間の懸案だったリビングのエアコンとガス調理台を新しくすることにした。今年のこの次期は、モノ入りが集中していいて、他にも、車検とそれに伴う車の整備、5年置きにやって来る火災保険、車の保険、マンションの大規模修繕時でなければできないダクトの清掃等々、年金生活者には仰天するような請求書が集中することになるのだが、何とかなるだろうと、半ばヤケクソで腹をくくった。

 その中で、今回、リビングのエアコンとガス調理台の取り替えを原商店にお願いすることにした。朝の9時すぎに、工事の人が4人程やってきて、忽ちリビングは火事場のような有様となった。メインの工事はエアコンの設置で、ガスコンロの方は、原商店の番頭さん、村上さんが担当した(右写真)。

 工事は、能率よく進み、お昼過ぎには、エアコン、調理台とも完成した。今度のエアコンは23畳用・三菱電機の「霧ヶ峰」だ。確か、以前のマンション、”ドルチェ南雪谷”のリビングでも霧ヶ峰だったと記憶する。とても快適だった。今年は8月に、長女の恭子がオーストラリアから一時帰国する予定なので、日本の猛暑(向こうは真冬だ)でも快適に過ごしてもらえると思う。


           



6月12日(日)

 今日も慌ただしい1日となった。先ず、午前10時からは管理組合の理事会。私の理事会の理事の任期もこの6月で満了となる。最後の理事会なので出席することにした。が、今日は、私の車の車検の納車日なのだ。今年の車検は、三菱自動車・用賀で受けるのではなく、近くのガソリンスタンド「Eneos 下丸子」で受けることになった。午前中に納車しなければ、車検に間に合わないと言われ、理事会の前に持って行くことにした。車で行くのは簡単だが、車を渡してしまうと歩いて帰ることはできない。そこで、多摩ちゃんバスの時刻表を調べると、9:43「下丸子駅」発で9:53「矢口中」着の便がある。これなら何とか間に合いそうだ。ガソリンスタンドのオープンは朝9時なので、9時ジャストにEneosに着けば、納車の手続きをして、手押しカートで下丸子駅まで歩けば、何とか間に合いそうだ。

 早めに家を出たため、Eneos の前で開店を待つことになったが、開店早々に車を渡して、手押しカートで下丸子駅に歩いた。その時気が付いたのだが、慌てて出たために腕時計もスマホも持っていないのだ。車に乗っている時は車の時計を見ればよいのだが、車を離れてしまうと今の時間が分からない。ゆっくり行けばいいのか、急がなければいけないのかの判断がつかないのだ。仕方がないので、少し急いで歩くことにしたが、すぐに息が上がってしまう。カートを停めて、椅子を出して休憩しなければならない。道行く人たちの同情のまなざしを浴びながら、恥ずかしいが、少し歩いて、少し休むを繰り返して、何とかバス停までたどり着いた。バスの時間表を見ると、9:43の次は、10:20とある。それだと、矢口中着は10:35になる。かなりの遅刻だ。今の時間が分からないので、自分の待つバスがどちらかは分らない。バスを待つ乗客は私一人なのだ。カートの椅子を出し、座って何時来るか分からないバスを待つのは心細い。10分ほど待っただろうか。これだけ待っても来ないということは、自分の待っているバスは10:20のものに違いない。大遅刻を覚悟しようと、ボンヤリ考えていた。その間、環八を通過するタクシーを何台か見かけたが、手を挙げても止まらない。恐らく、客を乗せているか、迎えに行く途中なのか、空車ではなさそうだ。ひょっとすると、カートの椅子に座っているので、身障者と判断され乗車拒否されたのかもしれない。

 それから数分後、漸く、バスがやってきた。カートを畳んで乗った。入り口の椅子に座って、運転席の時計を見ると、10:18とある。未だ、そんな早かったのか、時計がない時の判断が如何に頼りないものか痛感させられた。まぁ、お蔭で何とかギリギリ間に合ったので、良しとすることにした。

 右は、仏花 2022-w25。ちょっと珍しい”紅花”を主役に、ガーベラとスプレーカーネーションを添えてみた、





6月11日(土)

 今日は、珍客の来訪があった。真喜志興亜クン(→ こちら)。私が一橋大学・大学院に通っていた頃、同じ下宿屋に居た沖縄出身の学生で、明治大学に通っていた。その下宿屋というのが、西荻窪の駅の近くにあった。普通の民家で、私が1階の北に面した4.5畳の部屋、彼は、2階の南に面した4.5畳を借りていた。私の部屋の窓から手を伸ばせば届くほどの距離に隣の家の洋間があった。隣は作曲家の遠藤実さんのお宅で、その洋間にはピアノが置いてあり、歌手が練習する部屋になっていた。当時、流行した「高校三年生」という歌があったが、あの歌は遠藤実の作曲で、舟木一夫という若い歌手が唄っていた。舟木一夫などの歌手は、夜の10時ごろに「お早うございます!」と挨拶してやってくる。2時間ほど練習して日付が替わる頃に「有難うございました!」と、挨拶して帰っていく。

 漸く静かになったと思ったら、夜中の1時近くになって、住み込みの書生のような若者が一人で練習を始める。それが、正にノイズだった。若者の練習する歌は決まっていた。何度も何度も聞かされて、歌詞を覚えてしまった。
「♪逃げた女房にゃ未練はないが、お乳欲しがるこの子が可愛い。子守歌など苦手な俺だが、バカな男の浪花節、ひとつ聞かしょうか、ネンコロリン♪」 今でもスラスラ書けることに自己嫌悪を覚える。後になって分かったのだが、この若者は一節太郎という歌手見習いだった。

 その一節太郎の名前に関して、面白いエピソードがある。ある日、真喜志クンが私に教えてくれた。
「あの遠藤さん宅の書生の名前が分かりました。節太郎(セツタロウ)というみたいです。床屋さんで散髪して貰っている時に、前の鏡にあの書生のブロマイドが貼ってありました。そこに、節太郎のサインがあったのです。」と、報告してくれた。その翌日だったか、一番風呂を狙って行った銭湯で、あの書生と顔を合わせたのだ。男湯の客は彼と私の2人だけだ。黙っているのも変なので、思い切って話しかけてみた。
「貴方の名前が分かりました。節太郎(セツタロウ)さんって言うらしいね」私が言った途端に彼は不機嫌な顔をしてプイと横を向いてしまい、私のアプローチを拒絶したのだ。私も気分を悪くしたので、その場は無言で通した。後日、この話を真喜志くんに伝えると、
「あぁ、あれは私の早とちりでした。あのブロマイドのサインは、一番上の「”一”の字が黒いバックの上に書かれていたので気付かなかったのです。だから、本当は一節太郎(ヒトフシ・タロウ)というそうです。先日、テレビに出ていました」

 そういうことなら、あの時、彼がとった態度は頷ける。今度会ったらお詫びしなきゃと反省したが、お詫びした記憶はない。その後、真喜志くんとは吉永小百合の映画を一緒に観に行ったりして仲良くなっていった。このブログの読者で私の掲載した連載小説「白い闇」を読まれた方も少なくないと思う。あの小説の第3章に登場する「沖縄からの留学生・牧原」というのが、真喜志クンのことだ。

 真喜志くんは、現在、熱海に居を構えている。この日は、蒲田駅まで送迎した。その時、次回は熱海で会いましょうと、別れた。右は仏花(2022ーW24)..。翌12日、四女の康子が持参した。何でも、渋谷の日比谷花壇で買ったとか。紫陽花やひまわり等季節の花で飾られたブーケだった。





 6月8日(水)

 本日のイベントは5月31日のブログで述べた第2課題のメイン・イベントだ。児玉麻里さん主催の「第30回 インターナショナル・オルガン・フェスティバル・イン・ジャパン」。海外からアーティストを招聘して、各地でオルガンコンサートを開く。その中心となるのが、目白にある東京カテドラルの「マリア大聖堂」だ(左写真)。

 丹下健三による、ユニークな建物は、中がホールとなっている。1964年の東京オリンピックのメイン会場とほぼ同時に建てられた。丹下健三のメモリアル作品の一つとなっている。この東京カテドラルは、日本のカトリック寺院の総本山で、ローマ法王が来日すると、必ず、このマリア大聖堂でミサが行われる。

 今日は、この会場で、珍しい人と面談した。高校時代の親友の一人、新居欣造君と奥さんの佐和子さんだ。新居君は神戸の御影にお住まいだが、この日は、エルンスト・シュテンダーの貴重な演奏を聴く最後のチャンスかもしれないということで、神戸から奥さん同伴で出てこられた。奥さんの佐和子さんは、同じ神戸高校の同級生の門谷佐和子さんだ。当時は、名字の「門」を取って、「モンチャン」と呼んでいた。新居君とは時々顔を合わせるチャンスがあるが、モンちゃんと会うのは何十年振りかのことだ。面影はそのままで、とても懐かしかった。

 今日のオルガニスト、シュテンダー氏だが、バッハが師と仰いだブクステフーデ直系の後継者で、現在も、ドイツ/リューベック教会の主任オルガン奏者だ。児玉さんは、これまで何度もドイツを訪問、シュテンダー氏とは昵懇(ジッコン)の間柄だ。オルガンフェスティバルでは主役を演じるはずの児玉さんが今日は此処に居ない。本人は、西新宿の病院のベッドでさぞかし口惜しい思いをしていることだろう。実は、3日の福島公演の会場(福島市音楽堂)で転んで足を骨折したとのこと。   


6月4日(土)

 5月31日のブログで、管理組合の「臨時総会」について書いたが、今日がその臨時総会の当日だ。40人ほどが出席していた。今日、採決を取る議案は一つだけだ。「玄関扉改修工事を一旦停止し、見直しを行うかどうか」である。が、これの採決をとる前に、本日の臨時総会の議長を誰にするかで紛糾した。
 管理組合の規定では、通常の総会では、議長は管理組合の理事長と決まっている。が、「臨時総会の議長は当日の出席者+書面または代理人によって議決権行使する者」(合計220票)の過半数を取った者が議長になる、と定められている。議長候補は、①管理組合理事長 ②臨時総会招集者の2択なのだが、開票結果は下記のようになった。
-出席組合員(議決権行使者を含む)220票
- 理事長を議長とする       108票
-臨時総会招集者を議長とする   55票
ー棄権              57票

上記の結果、理事長を議長にする票は、108で、出席組合員の過半数に2票及ばずで、議長の資格はなく、結局、議長不在のため、「臨時総会は流会」となった。ということで、本件は6月19日の今期最後の定期総会で選出される、次期の管理組合の理事会に引き継がれることとなった。
 
 右は、仏花(2022W-23)。花はカーネーションだけ。後は、観葉植物と言うべきか、葉の面白さを集めた。特に、中央の植物は、何だか、ブロッコリーに似ていて面白い。が、名前は知らない。この写真は、フラッシュを焚いたので、ピンクのカーネーションは色が飛んでしまった。緑も鮮やかさが失われた。写真としては、”没”の一枚だ。







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